『聞き従う』

                     ルカの福音書 5111節メッセンジャー イザヤ木原真牧師

多くの業をなさっておられたイエス様のもとに、多くの群衆が、押し迫るように神の言葉を聞きに来ました。ゲネサレ湖(ガリラヤ湖)の岸辺にイエス様は立っておられましたが、岸辺に2つの舟があるのに目を留められました。そこには、ガリラヤ湖の漁師達がいました。彼らは、舟から降りて、網を洗っていました。後にペテロと呼ばれる、シモンもそこにいました。そのシモンに、イエス様は舟を出すように頼まれました。そして、舟にすわり、そこから群衆たちを教えられました。

     「深みに漕ぎ出して、網をおろして魚をとりなさい。」(4節)

話を終えられると、イエス様はシモンに「深みに漕ぎ出して、網をおろして魚をとりなさい。」と言われました。実はその日、漁師達は夜通し働きましたが、まったく魚がとれませんでした。彼らは漁師ですので、趣味の漁ではありません。生活をかけた漁でした。その漁でまったく魚がとれなかったので、彼らは気落ちし、疲れ果てていたでしょう。そういう状況だった彼らに、イエス様は言われたのです。シモンは答えて言いました。「先生。私たちは夜通し働きましたが、何一つとれませんでした。でもおことばどおり、網をおろしてみましょう。」シモンはガリラヤ湖の専門家です。いつ、どこで、どうすれば魚がとれるかは、良く熟知していました。その彼らが夜通し働いたのにも関わらず、何一つとれなかったのですから、今、漁をして魚がとれるとは到底思わなかったでしょう。それに、さっき洗ったばかりの網を使うとなれば、なおさら気が引けるでしょう。
 しかし、シモンはイエス様の言葉に従って漁を始めたのです。

 

     そのとおりにすると、たくさんの魚がはいり、網が破れそうになった。(6節)

シモンはイエス様に言われたとおりに、網をおろしました。すると、そこには網が破れそうになるほど、たくさんの魚が入っていました。彼がどんなに頑張っても何一つとれなかったにも関わらず、大漁だったのです。そこには、一つの鍵があります。彼はイエス様が言われた言葉に従ったのです。その時に奇蹟が起きたのです。
 神様は生きておられます。人間同士が関わりを持つ様に、神様は人である私達と関わりを持ち、聖書を通して、メッセージを通して、預言を通して、神様は語って下さるのです。その言葉に従うとき、神の業を見るのです。

シモンはプロの漁師です。魚がとれなかったのは最もつらい事でしょう。しかし、この事が神の栄光をみるきっかけとなりました。自分が得意とし、キャリアを積んだことで上手くいかない事があると、ある人はマイナスだと考えます。しかし、そうではありません。私達の人生にマイナスと思える事が起きた時、それは、神の言葉を聞くためのチャンスです。

この時、神の言葉に従って舟を出し、網をおろしたのはシモンでした。もう一つの舟は岸辺にいました。しかし、シモンがとった魚があまりにも大量のため、助けに来たその舟まで、魚がいっぱいになりました。神の言葉に従う人は、その人だけが祝福されるだけではなく、その周りの人たちにも祝福を及ぼすのです。岸辺で休んでいた人にまで、神の祝福は流れていったのです。
 これを見たシモンはイエス様の足下にひれふし、「主よ。私のようなものから離れてください。私は罪深い人間ですから。」と言いました。神の栄光を見るとき、人は自分の罪を知るのです。そして、この後彼は、人間をとる神の働き人となりました。聞き従った事が彼の人生を一変させたのです。
 神の言葉に聞き従うこと。それが神の栄光を見るための鍵です。             (文責 松本俊也)

主の十字架クリスチャンセンター 神のしも長崎教会

2008921日 主日第2礼拝メッセージより