『与える者は受ける』
聖書箇所: ルカの福音書6章38節 メッセンジャー:イザヤ木原真牧師
主の十字架の新年は11月です。今年も残りあと約1ヶ月で終わります。新年へ向けて今年のイスラエルチームで主の十字架の年頭の言葉として群に語られた御言葉を思い起こし共に学んでいきたいと思います。
与える者は受けるという聖書の原則は真実です。今まで経済、時間、能力を神様にささげ多くの祝福を私自身が受けてきましたし、自分だけでなく他の人が与えることを通して受けたという証しもよく聞きます。海外宣教に行くように神様に示された方がまず神様にささげるように示された時に海外宣教に行くために必要な費用が全額満たされたり、日曜日の礼拝を守り続けて祝福を受けた方、与えることを通して祝福を受けた方はたくさんいます。世の中で本当に成功している人も成功の秘訣を聞かれた時、与えることがカギだと言われることがあります。このように、与える者は確かに受けるのです。
私たち人間は弱いですので、残念ながら与えることを惜しんだり、躊躇したりすることがあります。その弱さがあることは人間ですから仕方ありませんが、そこで与えることができないことを感謝し、与えることができるように神様に祈るのです。そうしたら、神様が与えざるを得ないような状況を導いてくださったり、喜んで与える心を与えてくださいます。
ある方は能力、ある方は経済、ある方は時間を神様に導かれるままにささげてください。ささげるように導かれてその促しに従う人、その人は溢れるばかりの祝福と報いを受けます。なぜなら、ルカの福音書6章38節の御言葉が「与える者は揺すり入れ溢れるほど受ける」と証言しているからです。
経済、時間、能力のどれをささげるにしても、代価を伴う場合があります。しかし、代価を伴ってささげたことを神様は決して、忘れることなく、必ず神様の最善の方法を通して報いてくださいます。そのため、ささげる時は神様の助けを受け期待してささげましょう。また、代価を伴って捧げたものこそ尊く、神様はそのささげたことを喜ばれます。
自分の愛する家族や友人など親しい人にささげることはある意味簡単です。ささげにくい状況やそういう人にささげるように導かれた時、そこでどうするかが勝負です。神様の導きに従って、神様にささげ人にささげていく時、神様からの報いを受けます。
経済、時間、能力をささげなくても呪われることはありません。与えないなら、経済においてはこの地上の足し算引き算が起こるだけです。時間は自分でやりくりするだけで、能力は、頑張った分それなりの評価を受けるだけです。しかし、経済、時間、能力をささげなければ受けることができない祝福があるのです。それは私たちの想像をはるかに超える全能の神様が与えてくださる祝福です。経済においては、困難な状況を通る中でもささげ続けると必ず経済が回るようになり祝福されます。時間においても時間が無い中で、神様にささげ続ける時、必ず、その報いを受けます。霊的に厳しい日本で日曜日の礼拝を守ることは決して楽ではありません。しかし、日曜日を自分の都合で教会に来、神様を礼拝するのではなく、毎週日曜日の礼拝を選び続け、神様を礼拝し続けるなら、計り知れないほどの祝福と報いを受けます。本当に祝福を受けたいと思うなら、日曜日の礼拝を毎週選ぶことに心を定め神様の助けを受け選び続けてください。必ず、選んだことによる祝福の結果を見ます。自分がやるには能力が足りないと思っても、ふさわしくないと思っても、神様の導きに従って能力をささげる人はささげたことの報いとして神様がその能力を増し加えてくださいます。そして、その能力がその人にとっての武器や強みとなったりします。歌う能力、楽器を演奏する能力など神様がささげるように導かれる時はどうぞ、ささげてください。
経済、時間、能力を神様の導きに従ってささげた人は神様の真実を見ます。
(文責 久保田望)
主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長崎教会
2008年9月28日 主日第二礼拝メッセージより