『神様の言葉を信じ従う者が見る奇蹟』
聖書箇所:ヨハネの福音書11章40節 メッセンジャー:イザヤ木原真牧師
イエス様がラザロの元に来られた時、ラザロが亡くなってすでに4日が経っていました。死後1日なら生き返ることはごく稀にあるそうですが、亡くなって4日というと、もはや望みが無い状況でした。そのため、イエス様が「その石(ラザロの墓の前に立てかけられている石のこと)を取りのけなさい」といわれた時、今さら石を取り除けて何になるのだろう、愛する兄弟ラザロの腐敗した姿なんて見たくないと思い石を取り除けませんでした。ラザロの姉妹であるマルタとマリヤはラザロが生き返ると想像することができませんでした。その時、イエス様は今回のメッセージの聖書箇所であるヨハネの福音書11章40節の言葉をいわれます。「もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る、とわたしは言ったではありませんか。」その言葉を受け、彼らは石を取り除けました。石を取り除けた時、イエス様が先取りの感謝を父なる神様にささげ、イエス様の言葉によりラザロは生き返りました。しかし、この奇蹟が起こったのはまず神様の言葉にマルタとマリヤを始めとする人々が従ったことが関係しています。神様の言葉を信じ従う人は神様の奇蹟を見ます。
神様が語られることは私たち人間には理解できないことがしばしばあります。しかし、神様は私たち一人一人に最善以外なさいません。最善以外なさらない生ける真の神様の言葉を信じ従う時、神様の軌跡を体験します。亡くなって4日も経っていたラザロが生き返ったことは正に奇蹟で人間的に考えたら有り得ないことです。その有り得ない奇蹟が信じ従う者を通して起こるのです。そのため、理解できないこと、従いづらいことが語られても神様の助けを受け信じ従っていきましょう。
神様は私たちに多くのことを語りたいと願っておられます。まず、神様の言葉を聞こうとすることが大切です。神様の言葉を聞こうとする人には神様の語りかけを割りとスムーズに聞くことができます。しかし、自分で考え判断し自分の計画の中を生きている(生活型)と神様の語りかけを聞きづらいのです。
私たちが自分の人生に考える計画と神様が私たちの人生に持っておられる計画は合致することも稀にありますが、多くの場合は異なります。なぜなら、神様の計画は人間の計画よりもはるかに高く深く大きいものだからです。その計画の中を生きる人は、奇蹟を頻繁に体験します。吟味して神様の語りかけだと確信したら、神様の助けを受け従いましょう。
自分で考え判断し、自分の計画を生きるクリスチャンはイエス様の十字架のあがないを信じる全てのクリスチャンに与えられる永遠の命を受け天国に行く約束が与えられていますが、この地上では世の中の人と変わりません。呪われることはありませんが、神様の奇蹟を体験することがあまりない、あるいはめったにないです。それは、人間の可能性の中を生きる人生だからです。
神様の可能性は無限大です。その可能性の中に自分の人生をゆだね従って行くと人生の中で頻繁に神様の言葉を受けます。そして、その言葉に生きていくと可能性は無限に拡がります。
神のしもべ長崎教会は、使命型の教会に導かれています。使命型の教会は神様が望まれる人生を生きることです。この計画の中に生きると自分の考えを失うと思われる方がいるかもしれませんが、自分の考えをささげた時の報いは大きいのです。従い通すと必ず、従ってよかったと思える報いと奇蹟を体験します。
主の十字架クリスチャンセンターの新年は11月です。年末であるこの月、今年1年間あったことを丁寧に感謝し、悔い改めるべきことは悔い改めましょう。失敗や罪も悔い改め感謝していくなら必ず全てが益となります。後悔することなく前に向かって進みましょう。神様の新しい語りかけが始まります。その語りかけを受け従い、奇蹟を見ていきましょう。
(文責 久保田望)
主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長崎教会
2008年10月5日 主日第二礼拝メッセージより