『愛と御霊の賜物を熱心に求め用いる』

聖書箇所:第Tコリント14章1節                              メッセンジャー:イザヤ木原真牧師

 

                                                               

 

Tコリント14章1節では、愛と、御霊の賜物(特に預言)を熱心に求めるように言っています。御霊の賜物は9つあります。異言、異言の解き明かし、預言、知恵、知識、信仰、霊の見分け、癒し、奇蹟の賜物です。その中でも特に預言は重要な位置を占めます。預言は神様の言葉だから重要なのです。

愛があれば御霊の賜物はいらない、求める必要はないという解釈がありますが、それは誤りです。第Tコリント14章1節は、愛と同じく御霊の賜物(特に預言)を熱心に求めることは大切だといっています。優劣はないのです。

 愛を追い求めること、御霊の賜物(特に預言)を熱心に求めることの具体的対応として祈ることも確かに大事ですが、実際的に人々を愛そうとすることと、御霊の賜物(特に預言)を用いることも大事です。

ここでいう愛とは人間の愛ではなく、神様の愛です。神様の愛とは第Tコリント13章4節〜8節に書かれている通りです。人間の愛とは根本的に異なります。そのため、人間の内には神様の愛はありません。

人々を愛そうとする時、私たちは自分の限界を感じます。その時、あきらめることなく、神様の助けを受け祈り求め続けます。そうすると、神様の愛を持って人々を愛することができるようになります。

神様の愛を追い求める時、どうしても必要なのが御霊の賜物です。御霊の賜物は神様の愛を人々に運びます。医療でどうしようもできない病気にかかっている人に癒しの祈りをなし癒されるということがあります。また、落ち込んでいる人にかける言葉が見つからない時、知恵、知識の賜物が働く時、その人にとって最善の言葉、最も必要な言葉をかけることができ真の慰めや励ましを与えることがあります。このように御霊の賜物の働きは素晴らしいものですが、御霊の賜物を用いる時、注意すべき点もあります。一つは、吟味することです。また、御霊の賜物は教会に与えられた賜物であることを捉え教会のカバーの中で用いていかなければなりません。

どんなに人格的に優れた人、能力が高い人であろうとも、イエス様の十字架のあがないを信じない限り天国に行くことはできません。私たちはイエス様のことを人々に伝える使命があります。これに勝る愛はありません。イエス様の十字架のあがないを伝える福音宣教をなす上で強力な武器となるのが、御霊の賜物です。御霊の賜物の働きがあるとどのように心が頑なな人、霊的に束縛がある人でも救われるということがあります。私たちは宣教のために神様の愛で人々を愛するように祈り、御霊の賜物を求め用いていく必要があります。御霊の賜物は選ばれた特別な人に現れるのではありません。イエス・キリストの十字架のあがないを信じ、聖霊のバプテスマ(聖霊の満たし)を受けた全てのクリスチャンに現れます。

20世紀以降に起きたリバイバルは全て御霊の賜物の働きがともなっています。癒し、奇蹟、知恵、知識を始めとする賜物が豊かに用いられ束になって人々が救われました。その時、聖霊様が豊かに働き御霊の賜物の働きが顕著に起こりましたが、同時にサタンの激しい攻撃もきました。サタンは神様が豊かに働くこと、人々が救われることを忌み嫌います。そのため、御霊の賜物を用いようとすると攻撃がきます。リバイバルの歴史を見てみますとリバイバルが起きた教会は非難・中傷を受けました。

日本でも近い将来、御霊の賜物の働きが顕著に起こり、やがてリバイバルをむかえます。リバイバルの時、倒されないために教会のカバー受けて御霊の賜物を用いていく必要があります。

(文責 久保田望)

 

 

主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長崎教会

2008年11月2日 主日第二礼拝メッセージより