『神の言葉によって』
聖書箇所:マタイの福音書14章27〜28節 メッセンジャー:イザヤ木原真牧師
信仰とは、具体的に言うとなにかを見ていきたいと思います。もちろん、神を信じ、イエス様を信じることが信仰です。
さらに具体的に言うと、神様の言葉を信じるということです。これには、二つあります。難しく言うと『ロゴス』と『レーマ』と言います。
ロゴスとは、普遍的な真理、いつでもどんな時でも、適応することの出来る言葉です。例えると、いつも喜んでいなさい。この御言葉
は、どんな時にも適応することができます。これは、特別に御言葉がひびかなくても御言葉の通りに喜ぶならば、祝福を受けます。
それは、約束だからです。また、レーマとは、特別に語られる言葉のことです。例えば、病気になります。聖書を見る時に、神様は、
すべての病をいやすことができるお方であることがわかります。しかし、この病気が、他の人がいやされ奇跡を見た様に、いやされ
るとは言い切れないのです。神様のから言葉を頂いた時に、断言できるのです。なぜなら、天に召されることがあり、あえて病気を
許し、その中で訓練することがあるからです。言葉があるならば、どんな状況でもどんな困難でも、大丈夫と言い切れるのです。
つまり、私たちの信仰は、何が土台かと言うと神の言葉なのです。あるいは、神からの言葉なのです。やみくもに信じるのでもない。
自分で思い込むのでもありません。言葉が無いのに信じることを心臓と言います。ただ、吟味が必要です。しかし、確認ができたな
ら、私たちはかたく立てるのです。
もう一つ大事なポイントがあります。それは、条件です。御言葉で求めよと語られたら求めなくてはいけません。与えなさい。そうす
れば与えられます、と語られたならば、与える時に受けるのです。レーマであって条件があるときは、神の前にその条件をはたす
のです。その時、神は恵みによって約束をなされるのです。
この聖書箇所は、ガリラヤ湖を舞台に書かれています。ペテロをはじめ、弟子たちの多くは、ベテランの漁師たちでした。その漁師
であった彼らが、嵐にあい困っていました。その時、イエス様は、水の上を歩いて近づいてこられました。この時、ペテロは直前まで
恐れていたのとは、うって変わって、あなたがお命じになったら水を歩けますと言って、イエス様に言葉を求めたのです。
そして、ペテロは言葉を受けて、水を歩いたのです。自分から飛び込んだのではありません。言葉を受けて歩いたのです。
彼は、言葉を受けたので水の上を歩くという奇跡を体験したのです。私たちの人生でも、言葉を受けるとき世に勝利するのです。
勝利の中を奇跡の中を歩むのです。そして、それは神様の願いでもあります。
神の言葉を自分のために受け、友人や家族のために受け、ともに神様の真実を見て行きましょう。
神様の語られる言葉は、どこまでも真実です。
(文責 モーセ出西
光)
主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長崎教会
2008年11月19日 主日第二礼拝メッセージより