『祈りをおこされる』
ヘブル人への手紙11章6節 出エジプト記17章8〜13節
メッセンジャー イザヤ木原真牧師
「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、
神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。」
ヘブル人への手紙11章6節
「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。」ここに書いてある信仰とは、「神に近づく者」「神を求める者」を意味しています。私たちの人生の中には、「神様がいたら、何でこんな風になるの?」「神様がおられるなら、何でこんな事が許されるの?」と思いたくなるような状況が許されます。しかし、そんな中でこそ神様を信じるのです。
信仰が上手くいっている時は、信仰を働かせようとする必要はありません。しかし、自分のところには神様がいないと思われる状況、自分だけが報いがないと感じる時、最悪と思われる時こそ、私たちの信仰を神様にアピールする絶好のチャンスです。
最悪な時にこそ、信仰を用いて「神様がおられる事を信じます。」と祈り、告白し、信仰に堅く立つ時、神様は喜ばれ、神の大いなる報いと働きを見て行く事になります。
神様を信じて従う時に、最悪の状況が逆転し、神様の祝福を見ます。神様と、神様の言葉に信頼して、歩んで行きましょう。
「モーセが手を上げているときは、イスラエルが優勢になり、
手を降ろしているときは、アマレクが優勢になった。」 出エジプト記17章11節
イスラエルはレフィディムで、アマレクと戦いになりました。神様はモーセを通して、ヨシュアに「アマレクと戦いなさい。」と命じます。ヨシュアは命じられた通りに戦いに行き、モーセはアロンとフルを連れて丘の頂に登りました。丘の頂でモーセが手を上げているときは、イスラエルが優勢になり、手を下げている時は、アマレクが優勢になりました。共に登ったアロンとフルは両側からモーセの両手を支え続けました。その結果、イスラエルはアマレクに勝利したのです。
手を上げるとは、祈りを意味しています。実際に戦いに行ったのはヨシュアでしたが、モーセが手を上げて祈り続ける事が、戦いの勝敗を決めたのです。とりなしの祈りには、大きな力があります。
新約時代において、モーセは誰と言えるでしょうか。それは、イエス・キリストです。私たちの人生は、様々な戦いが許されます。しかし、神様は、そんな私たちのために、天において、祈って下さっているのです。
そして神様は、この地上においても、一緒に祈る人を起こされます。近くにいる者に、あるいは、世界中のどこかに、共に祈る人をイエス様は必ず起こされるのです。だから、私たちは、いろんな問題や戦いがあっても、大丈夫なのです。
私たちの信仰は、世に打ち勝つのです。
(文責 千多冨二男)
主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長崎教会
2009年1月18日 主日第2礼拝メッセージより