『選ばれたのはロバの子』
マルコの福音書11章1〜10節 メッセージ イザヤ木原真牧師
今週は受難週です。イエス様の生涯の中で最も重要な時であり、ドラマで言えば、最高のクライマックスにあたる場面です。そして、この週の一番初めの日曜日を、しゅろの日曜日(英語でパームサンデー)と言います。イエス様がその最も重要な使命をはたされるために、エルサレムに入城されたのがこの日です。そして、金曜日(グッドフライデー)に十字架にかけられ、3日後に復活されました。
イエス様は、この地上における生涯の、最も重要な使命を果たされる時、ロバの子を選ばれました。ご自身の最も重要な時です。現代に置き換えて考えて見れば、普通このような時には、高級車に乗って入城して来ないでしょうか。当時で言えば、馬でしょう。馬に乗って入城した方が格好よかったと思います。しかし、イエス様が選ばれたのは、ロバの子だったのです。なぜ、イエス様はロバの子を選ばれたのでしょう。
・選ばれたロバの子
イエス様はこのロバの子を選ばれました。ロバの子だったら何でも良かったのではありません。「向こうの村につないであるロバの子を連れてきなさい」と、イエス様は選ばれたのです。実は私たちも同じです。
イエス様は、わざわざこのロバの子を指名して選ばれました。それと同じように、イエス様は私たちを指名して選ばれたのです。誰でも良いと言われたのではありません。あなたが必要だと神様が言っておられるのです。学校でも、職場でも、家庭であっても、神様が選んでおられると思っているか、また、誰でも良かったと思っているかはまったく違います。神様は私たちを、本当に必要だと思い、選んで呼ばれたのです。
・ロバ
神様が選ばれたのはロバの子です。ロバに使う形容詞は、「愚鈍」です。ロバは鈍くて愚かなものと言われるのです。イスラエルにおいて、ロバは朝から晩まで働かされます。観光用のロバは綺麗にしていますが、普通に仕事に使うロバは、目やにをつけ、頭の上にはハエが飛んでいます。それがロバです。
しかし、ロバには、特徴があります。ロバは忠実なのです。本当に弱い動物ですが、ロバは忠実で従順な動物です。神様は私たちに働きを与えるにあたり、自分が弱い者である事、自分に力が無いという事を教えて、気づかせてくださいます。それは、否定的な意味ではありません。本当に自分が弱いという事を知っている者を、神様は用いてくださるのです。自分には力があると思っている間は、神様は呼ばれません。神様が選ばれるのは、馬ではなく、ロバだからです。
・低くなる
馬に乗ると背が高くなって堂々と入城できたでしょう。しかし、ロバの子に乗ると、大抵の場合、普通に歩くよりも背が低くなってしまいます。「ホザナ、ホザナ」と人々がしゅろの枝をふり、着物を道に敷いて喜んで迎え入れた時に、イエス様は誰よりも身を低くして来られたのです。神様は低い者を選ばれるのです。神様の恵みも祝福も、低い者に与えられるからです。形だけ低くなる事は日本人は得意でしょう。しかし、神様が言われる謙遜とは違います。イエス様は誰よりも、醜く、汚く、あわれな死に方をされ、罪の結果であるよみにまで行かれたのです。しかし、それが本当の謙遜でした。形だけでは、ダメなのです。
クリスチャンなのに、なぜ多くの試練や問題が許されるのでしょう。それは、試練や問題を通過する事によって、本当に人は低くなるからです。試練や困難が、私たちを低くするのです。
立派な人が選ばれるのではありません。本当に弱さを知った人を、神様は呼ばれるのです。
(文責 松本俊也)
主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長崎教会
2009年4月5日 主日第2礼拝メッセージより