『神様からの確信があるなら踏み出す』

聖書箇所:マルコの福音書16章1節〜8節               メッセンジャー:イザヤ木原真牧師

イエス様は全ての人を救うために十字架にかかられました。イエス様が十字架にかかられたのは金曜日の午前9時で、その日の午後3時に亡くなられました。イエス様を信じていたヨセフという人がイエス様の遺体を引き取りお墓に納めました。マグダラのマリヤを始めイエス様がガリラヤにおられた時、いつもつき従って仕えていた女の人たちがその様子を見届けました。それからすぐに日がくれて安息日になってしまいました。安息日は戒めに従って休息するように定められています。

マグダラのマリヤたちは、イエス様のことをとても大切に想っていました。亡くなられたイエス様に香油を塗りたいと思ったので、香料と香油を用意しました。安息日にはイエス様に香油を塗りに行くことができなかったので、安息日が終わるのを待っていました。安息日が終わると一目散にイエス様のお墓に向かいました(実はイエス様はよみがえられていたのでお墓におられなかったのですが、彼女たちはそのことを知らなかったのでお墓に向かいました)。

イスラエルのお墓はほら穴です。ほら穴の前に溝があってそこに大きな石がころがしてあります。その石がふたの役割をしています。一人でころがすのは難しいくらい大きな石です。マグダラのマリヤたちの話からイエス様のお墓の石は女性3人でころがすことも難しい大きな石のようです。それだけではなく、お墓の前には番兵(ローマ兵)が立っていました。番兵はイエス様の遺体が盗まれないように見張っていました。番兵が石をころがすのを手伝ってくれるとは考えがたいです。そのため、マグダラのマリヤたちがせっかくイエス様のお墓に来たところで、イエス様に香油を塗ることができるという可能性は全くといっていいほどありませんでした。彼女たちはそのことを十分わかっていました。それにもかからず、イエス様のお墓に向かいました。そこまで彼女たちを突き動かしたものは何だったのでしょうか。

1つ目はイエス様のことを本当に愛していたので、お墓にいかずにはいれなかったのだと思われます。

2つ目が今日のメッセージのポイントです。

彼女たちは、「お墓の前には大きな石もあるし番兵もいるのでイエス様に香油を塗ることはできるのだろうか」と頭ではそう思っていました。しかし、内側のもっと深いところで「必ず、イエス様に香油を塗ることができる」と確信していたのだと思います。彼女たちがお墓の前に行ってみると、驚くべき事が起きていました。お墓の前にあった石がすでにころがされていて、番兵もいませんでした。そこには、天使だけがいて、イエス様はよみがえられてガリラヤに行かれたことを教えてくれました。

 

  今回のマーリンチームで「信仰と希望は違う」というメッセージがありました。信仰と希望と愛はどれも大切なのですが、コリント書に「単なる希望をおいているだけならばこんなにむなしいことはない」とあります。例えば、愛する方が天に召されます。その時、「その方と天国で会えるといいなあ」と思うのは単なる希望です。それは単なる希望ではなく、間違いなく天国で再会できるという確信があります。この信仰を持つことが大切なのです。マグダラのマリヤたちも、「イエス様に香油を塗ることができたらいいなあ」と単なる希望を持っていたのではなく、「必ずイエス様に香油を塗ることができる」という信仰を持っていたのです。その確信に従った時、香油を塗ることよりもっと大きな奇跡を、イエス様の復活という奇跡を体験しました。

神のしもべ長崎教会では4月10日にグッドフライデーコンサートを行いました。急遽決まったのですが、神様が導いておられ神様が働いてくださるという確信があったので踏み出しました。コンサートは非常に祝福されました。神様が豊かに働いてくださり、救いも起きました。

神様から与えられる幻や願いを大切にしてください。頭には不安や恐れがあっても、もっと深いところにある神様からの確信に従って踏み出す時、神が働かれます。                        (文責 久保田望)

主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長崎教会

2009年4月12日 主日第二礼拝メッセージより