『権威ある神様の言葉によって歩む』
聖書箇所:ルカの福音書7章2節〜10節 メッセンジャー:イザヤ木原真牧師
ある時、百人隊長のしもべの一人が病気で死にかけていました。百人隊長はイエス様の元に使いを送り、しもべの病気を治してくださるようお願いしました。すると、イエス様は来てくださいました。イエス様が百人隊長の家に近づいて来られた時、百人隊長は別の使いを送り、次のように伝えさせました。「主よ。わざわざおいでくださいませんように。あなたを私の屋根の下にお入れする資格は、私にはありません。ですから、私のほうから伺うことさえ失礼と存じました。ただ、おことばをいただかせてください。そうすれば、私のしもべは必ずいやされます。」 百人隊長は人々から尊敬されていました。しかし、自分はイエス様をお迎えする資格はないと思っていました。だからといって彼は卑下しているわけではなく、信仰がありました。イエス様が言葉をくだされば、しもべの病は必ず治ると信じていました。百人隊長は、イエス様の言葉があれば治るとどうして信じることができたのでしょうか。
百人隊長は,ローマの軍人100人を治める権威を持っていました。当時のローマの軍隊は世界最強と言われていました。強い軍隊は秩序がはっきりしていて、オーダーがしっかり通るという特徴があります。百人隊長が治める軍隊もこのような特徴があり、百人隊長が部下に「行け」と言えば行き、「来い」と言えば来ました。百人隊長は、自分でさえ権威を用いれば部下がその通りに従うのだから、イエス様がおっしゃれば、病気を始め一切のものがイエス様の言葉の通りになると信じていました。百人隊長はイエス様に一切の権威があると思っていました。そのため、イエス様がわざわざ来てくださらなくても、イエス様の言葉さえあればしもべの病気は治ると信じることができたのです。百人隊長のこの信仰を使いからお聞きしたイエス様は、驚き、百人隊長の信仰をほめます。そして、百人隊長の使いに言葉を与えました。イエス様の言葉の通り、病気で死にかけていた百人隊長のしもべは、癒されました。
なぜ百人隊長が信仰をほめられたかというと、百人隊長はイエス様の権威を知っていて、イエス様の言葉を求め、その言葉を受け信じたからです。信仰の父と言われているアブラハムは75歳の時、「生まれ故郷を出て神様が示す地(カナン)に行けば豊かに祝福する」と神様から語りかけを受けました(創世記12章1節〜3節)。この時、アブラハムにあったのは神様の言葉だけで、カナンに行っても何の保障もありませんでした。しかも、アブラハムはそれまで住んでいたカランで祝福されていました。一財産築き、将来の生活が保障されていたのです。しかし、アブラハムは目に見える状況で動くことなく、神様の言葉を信じて踏み出しました。その結果、神様の言葉の通り、アブラハムは祝福されました。
アブラハムだけでなく、イエス様の弟子として任命されたペテロとヨハネもそうです。ペテロとヨハネがイエス様に従うように示された時、彼らにあったのはイエス様の言葉だけで、生活の保障は何もありませんでした。それまで、ペテロとヨハネはガリラヤ湖で漁をして生計を立てていました。彼らはプロの漁師でした。ガリラヤ湖のことを知り尽くしていて、漁師としての腕も確かだったので、彼らの将来は保障されていました。しかし、彼らは漁師としての生活をささげて、権威ある神様の言葉に従いました。
このように、信仰の歩みとは、目に見える状況や可能性によって進むのではなく、神様の言葉によって進むものです。神様は一切の権威を持っておられその神様の言葉には力があります。残念ながら、人の言葉はどんなに誠実でも約束を守れないことがしばしばあります。目に見える状況もいつまでも保障されるとは限りません。しかし、目に見える状況がどのように移り変わっても、神様の言葉は真実で決して変わることはありません。
ご自身のこと、愛する方のことで問題が起きる時、その問題に目をうばわれるのではなく、その問題を感謝し、「神様の言葉」を求めてください。十分に吟味し確かに神様からの言葉だと確信を受けたなら、その言葉を握ってください。神様の言葉は必ず成就します(すぐに成就する場合と時間がかかって成就する場合があります。いずれにしても、神様の言葉は神様の真実にかけて、時が来れば必ず成就します)。神様の言葉があれば、神様はその言葉の通り、どのような問題にも勝利と解決を与えることがおできになります。 (文責 久保田望)
主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長崎教会
2009年5月3日 主日第二礼拝メッセージより