『神の約束をもって祈る』
聖書箇所:使徒の働き1章3〜11節 メッセンジャー:イザヤ木原真牧師
ペンテコステ前の弟子たちから見てみたいと思います。
弟子たちは、イエス様に3年半の間、ついて歩みました。しかし、弟子たちは、イエス様がいよいよ十字架にかから
れる時、逃げ出してしまいました。彼らは、自分の弱さをしり、また傷ついていたこでしょう。そんな弟子たちに、
イエス様は「シャローム(平安があるように)」と言って現れになったのです。ご自分が生きていることをあかしされ
40日間の間、弟子にたちに現れになりました。そして、イエス様は、弟子たちの前で、天に帰って行かれたのです。
弟子たちは、復活された主が帰って行かれるのを見て、自分の弱さをいやというほど知らされ、恐れたのでは
ないでしょか。しかし、それは恵みであったのです。私たちの人生でも同じように恐れ、弱さを感じるときがあります。
弟子たちは、3年半の間、イエス様と一緒に歩んでいたとき、どうも福音書を見ると、イエス様は、いつも祈って
おられるのですが、弟子たちはイエス様のそばにいながら、ほとんど祈っていないように感じます。ゲッセマネの
時も寝てしまいました。ところが、使徒の働きでは、弟子たちはまったく変わります。もちろんそれは、聖霊様が
来られたからですが、ペンテコステ前、弟子たちは、自分の弱さのゆえに、恐れのゆえに、みんなで集まって、
真剣に必死に祈るようになっていたのです。恐れそのものは、良いも悪いもありません。恐れに翻弄をされる時、
良くないのです。しかし、恐れの良い使い方があります。恐れがある時、その恐れをとおして本気で主の下に
行くならば、恐れさえも神の栄光のために用いられます。弟子たちは、恐れました。しかし、ゆえに本気で神の前に
祈りをもって出たのです。そして、主の前にでた者には、内側に神が与えるものが注がれるのです。
弟子たちは、1つに集まって祈っていました。どちらが偉いかとケンカをしているような弟子たちが一つになって
集まったのです。これは、教会の雛形です。そして、そこに聖霊が注がれたのです。一人で祈れないことを、
落ち込むことはありません。使徒たちは、集まって祈っていたところに、聖霊が激しく臨んだのです。
弟子たちは、聖霊のバプテスマを受けるという約束を受けます。聖霊の力を受けると言われたのです。
そして、証人。すなわち殉教者になっても全世界に出て行くといわれたのです。言葉の約束どおり、人の力ではなく
聖霊の力によってあの弱かった弟子たちが、全く変えられて全世界に証人として出て行ったのです。ヨハネ以外の
使徒たちは、全員が殉教したと言われています。
彼らは、約束を受けました。彼は、弱さのゆえに祈っていました。そしてもう一つ、それは約束があったのです。
聖霊のバプテスマを受け、聖霊の力を受けるという約束を受けていました。彼らは、約束を信じて祈っていたのです。
ただ祈ったのではありません。約束を受けて祈ったのです。どんなに自分を見て絶望しても、現状がどうしよもなくて
も、神様の約束の言葉あるなら、その約束を信じて祈るときに神の力がやって来るのです。神の霊が働いて、
その約束が、神の手によって成就していくのです。この後、弟子たちは、使徒の働きを見ると同じ人とは思えない
ほど、神の働きを担っていきました。約束の成就だったのです。
ポイントは、神の言葉です。人の可能性ではありません。人の可能性ではなく、神の言葉を握って祈っていくとき、
約束の成就を見るのです。
(文責 モーセ出西
光)
主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長崎教会
2009年5月24日 主日第二礼拝メッセージより