『聖霊の力は人間の本質を変える』
聖書箇所:使徒の働き2章1節〜4節 メッセンジャー:イザヤ木原真牧師
1節の五旬節とはペンテコステ(聖霊降臨)ともいいます。この日、イエス様の弟子たちは集まって祈っていました。ぶつかり合っていた弟子たちが一つになって祈るようになったのは、彼らが仲良くなったからではありません。イエス様の弟子だとわかったらイエス様に敵対している人たちから殺される可能性があったので、彼らは恐れていました。その恐れが彼らを祈りへと導いたのです。
誰でも人や将来などを恐れてしまうことがあると思います。人間的に考えたら恐れはマイナスです。しかし、クリスチャンにとって恐れはマイナスではありません。恐れに目を向けたら恐れに支配されてしまいますのでマイナスで終わりますが、その恐れを神様の元に持っていく時、神様が恐れに打ち勝つ力と解決を与えてくださいます。
さて、弟子たちは一つに集まっていましたが、これは教会を意味します。教会はギリシャ語で「エクレシア」といいます。「呼び集められた者」という意味があります。キリストの御名によって人々が集まるなら、そこを教会といいます。弟子たちが一つに集まり祈っていた時、つまり、教会に聖霊が注がれました。この時だけでなく、大宣教命令の時もそうでした。イエス様が大宣教命令を弟子たちに語られたのは、彼らが集まっている時でした。これらのことから、新約時代は神様が聖霊を注がれたり使命を与えるのは、個人ではなく教会だということがわかります。もちろん、神様は一人で祈る祈りに応えてくださいますし、一人で聖書を読んでいる時にも語ってくださいます。しかし、本当に重要な事柄は教会が土台だということを覚えていただきたいと思います。新約時代は、教会を土台とした信仰生活が重要なので、サタンは私たちの信仰を奪う時、いきなりつまずかせるのではなく、まず、教会から引き離そうとします。教会から引き離して、気がついたら信仰を失わせるのがサタンのやり方です。サタンは巧妙ですので惑わされないよう、しっかりと教会のカバーに入っていただきたいと思います。
それでは、聖霊が降臨したところを見ていきたいと思います。すると突然、天から、激しい風が吹いてくるような響きが起こり、弟子たちのいた家全体に響き渡りました。また、炎のような分かれた舌が現れて、一人ひとりの上にとどまりました。すると、みなが聖霊に満たされて、聖霊が話させてくださる通り、他国の言葉で話しだしました。弟子たちはイエス様が与えてくださった約束を信じて祈っていたと思われますが、もしかしたら疑っていた人もいたかもしれません。ですが、神様はあわれみ深い方なので、すべての人に聖霊を注がれました。この時、外から見てもわかるほどのすごい事が起こったようです。というのは、この後、エルサレム中から人々が集まって来たからです。男性だけで3千人集まったので、女性と子どもを含めたら1万人近くの人が集まったかもしれません。その中には弟子たちを殺そうとしている人がたくさんいました。
聖霊の満たしを受けた弟子たちは全く新しく造りかえられました。まず、彼らの言葉が変えられました。最初は、聖霊の力によって、弟子達が学んだことのない外国語を語り出しました。弟子たちはさまざまな外国語で神様の大いなる御業を語りました。語る弟子たちにとっては理解できない言葉ですので異言ですが、弟子たちが話す言葉が自国語の人にとっては理解できる言葉です。その人たちは、弟子たちが自分たちの自国語で話すのを聞いて非常に驚きました。その次は、弟子たちの理解できるヘブル語で、自分たちを殺そうとしている人に向かって、死をも恐れないで大胆に福音を語りました。弟子たちの内側にあった恐れは取り除かれて、命をかけて福音を伝えるまでに変えられました。弟子たち自身が変えられただけでなく、彼らの人生も変えられたのです。このようなことは、人間の力、努力では決して起こりません。人間には人間の本質を造りかえることはできないからです。まさしく、聖霊の力によって弟子たちは変えられました。聖霊に満たされると、聖霊の力が働き、人は本質から造りかえられるのです。例外はなく、聖霊の満たしを受けると全ての人の本質が一新します。その人の人生も新しくなります。
聖霊の満たしを受けるカギがあります。ペンテコステ前の弟子たちのように、本当に弱さを覚え、神様の前にへりくだって真剣に聖霊を祈り求めることです。(ちなみに、神様の一方的な恵みによって聖霊の満たしが与えられることもあります。)
私たちも聖霊に満たされることを求め、聖霊の力をいただいて、神様が用意されている祝福と恵みの中に入っていきたいと思います。 (文責 久保田望)
主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長崎教会
2009年5月31日 主日第二礼拝メッセージより