『イエス様にしっかりと目を向ける』
聖書箇所:ヘブル人への手紙12章2節 メッセンジャー:イザヤ木原真牧師
イエス様に目を向けていると、罪に縛られて元気を失い、疲れ果てることはありません(もちろん、罪は真実に悔い改める必要があります)。 また、神様は私たちを愛するがゆえに、懲らしめや訓練を与えることがあります。この時もイエス様に目を向けていると、懲らしめや訓練を通して弱り果てることはありません。
ヘブル人への手紙12章2節の「イエスから目を離してはいけない」とは、英語では「fix on Jesus」といいます。fix
onは、「しっかりと取り付ける、(人に)目を付ける」という意味があるので、「あなたの目をイエス様にしっかりとくっつけなさい」ということです。onは「(接触して)〜に」という意味があるので、イエス様と私たちの目の間に何かを入れてはなりません。イエス様と私たちの間に何かを置く時、私たちはその人や状況や物に振り回されたり、混乱してしまいます。しかし、イエス様にしっかりと目を向けていれば、大丈夫です。
イエス様に目を向ける方法は3つあります。1つ目は賛美することです。神様にささげるのが賛美です。他のことを考えながら賛美しているのは、賛美ではなく歌です。周りの人が賛美をささげていてその恵みが流れてくることがありますが、歌の場合は基本的に自分自身が神様と交わることはありません。賛美しながら神様と交わるとその場所に神様が住まわれ、ご臨在をあらわしてくださいます。たとえ音程がずれたとしても、歌詞を間違えたとしても、本当に神様を賛美していたら、その賛美を通して人の力ではなく神が働かれるので人々は神様を体験します。
2つ目は聖書を読むことです。聖書には、イエス様のことを「神のことば」と書いてあります。そのため、聖書を読むと、イエス様に目を向けることができます。
神の言葉は真実です。残念ながら、人の言葉はどんなに誠実でも約束を守れないこと、その通りにならないことがしばしばあります。しかし、神の言葉は必ずその通りに成就します。
神様から約束の言葉が与えられた時、その言葉に立ち続けるためには神の言葉に触れ続けることがカギです。人間は弱いので神の言葉に触れ続けていないと、サタンに惑わされて約束の言葉に立てなくなります。
神の言葉に触れていなければ、人の言葉や可能性などの目に見える世界が私たちの思索を支配します。その時、私たちの心はかき乱され、翻弄されていきます。しかし、神の言葉に触れていると神の言葉そのものに力があるので、頑張らなくても信仰に立つことができます。
3つ目は教会に行くことです。教会に行けば賛美と神様の言葉に触れることができます。心から賛美できる時もあれば、悲しいですが、問題が大きすぎて賛美できない時があるかもしれません。しかし、周りの人が本当に賛美していたら聖霊の力が流れてきます。逆に、私たちが本当に賛美していたら、神様が他の方に触れてくださいます。これが教会の素晴らしさです。また、教会の礼拝では聖書の言葉が語られます。たとえ眠っていたとしても、聞いていてもその時はその言葉が響かなかったとしても、その時聞いた神の言葉はイエス様に私たちをつなぎ合わせるのです。
教会にはイエス様が満ちています。そのため、サタンは私たちを教会から引き離そうとします。サタンはポイントのところに攻撃をしかけてきますので、教会に来れないでいる兄弟、姉妹はポイントだということです。はっきりとサタンの攻撃があることを捉え、霊的にはとりなしの祈りをもって、実際的には助けをもって教会に招く必要があります。
ヘブル人への手紙12章2節に「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい」とあります。創始者は英語では「author」といいます。「創始者」以外に「著者、作者」という意味があります。私たちの信仰のシナリオを書いてくださるのはイエス様です。人間が書くシナリオは範囲がありますが、神であるイエス様が書いてくださるシナリオはダイナミックでドラマチックです。
信仰は努力が中心ではなく、信じることが中心です。イエス様が信仰のシナリオを書き、完成してくださると信じるなら、神がその事を成されます。しかし、人間の力では頑張ってもそのことを信じることができないので、賛美し、聖書を読み、教会につながることが必要です。その時、イエス様にしっかりと目を向けることができ、神様が一人ひとりに用意してくださっている素晴らしい信仰のシナリオを、人生に著わしてくださるということを覚えていただきたいと思います。 (文責 久保田望)
主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長崎教会
2009年6月7日 主日第二礼拝メッセージより