『イエス・キリストに解決がある』
聖書箇所:ルカの福音書8章40〜42・49〜56節 メッセンジャー:イザヤ木原真牧師
会堂管理者のヤイロという人がでてきます。当時、会堂管理者というと立場がある人でした。その人がイエス様の
足下にひれ伏すのです。それは、彼の12歳ぐらいの一人娘が死にかけていたからでした。なぜ、イエス様の下に
来てこんなにもすがったかというと、イエス様のところに来ればなんとかなる。イエス様の所に行けばなおると信じ
ていたので来たのです。私たちはその事を知っています。しかし、残念ながら日本の多くの人たちは、イエス様に
解決があることを知らないのです。なぜでしょうか。それは、伝わっていないからです。
イエス・キリストは今も生きていて、祈りに答え、私たちの心も体も人生もいやすことをおできになることが伝わって
いないのです。イエス様の事を教会がどんなに素晴らしいかをもっと伝える必要があることをおぼえてください。
そして、この会堂管理者ヤイロは、イエス・キリストにあるいやしを聞いて知っていたのです。
イエス様のところに行けばなんとかなる、そう思っている人をイエス様はこばんだりされません。すぐになおして
下さり、ある時はあえて時間をかけ信仰をはぐくみいやされるのです。
ヤイロとイエス様たちは、死にかけている娘のところに行きます。その途中で長血をわずらった女性の長年の病
をこう言われいやされます。『娘よ。あなたの信仰があなたを直したのです。安心して行きなさい。』
イエス様は愛の言葉を語られます。ヤイロの目の前で素晴らしい神の業が起こったのです。きっと期待したこと
でしょう。しかし、ヤイロの家から使いが来て娘が死んだことが告げられるのです。ヤイロは落胆したこでしょう。
私たちの人生において、本当に主に期待していたのに、期待通りにならないことがあります。しかし、クリスチャン
はここから始まるのです。ヤイロは、イエス様が来て下さればいやさることを信じていたでしょう。しかし、死んで
しまったら終わりだとも思っていたと思います。でも、イエス様は、例え死んでしまったとしても生き返らせることが
できる。ヤイロが持っていた信仰よりももっと大きな方であることを教えられたかったのです。
もし、今あなたが自分に関して、愛する人に関して、もう終わりだと思ったとしても、あきらめないで下さい。
そこから神の業が始まるのです。知らせを聞いて落胆をしてるヤイロにイエス様は、言われます。
『恐れないで、ただ信じていなさい。そうすれば、娘は直ります。』普通は、死んだら終わりです。
しかし、イエス様は、終わりじゃない、ここから奇跡が始まると言われたのです。
家に着くと悲しみ多くの人が泣いていました。イエス様は言われました。『泣かなくてもよい。死んだのではない。
眠っているのです。』それを聞いた人たちは、あざわらいます。目の前の現状がどんな状況であったとしても、
イエス・キリストが語られたのならば必ずそうなり奇跡が起こるのです。私たちが心から願っているからそうなるとは
かぎりません。しかし、イエス・キリストの言葉は語られた通りになるのです。私たちも笑わない様にきをつけましょ
う。そして、本当に言葉通りに娘は、よみがえりました。そして、食事をさせるのです。
私たちが教会に来て、イエス・キリストの下に来るなら、求めるならば、ある時は即座に、ある時はあえて時間を
かけ、必ず主は答えて下さり、私たちの人生を祝福されるのです。
自分の考え通りに行かずあきらめそうになっても、決してそれであきらめないで下さい。私たちにはイエス様がとも
おられます。もうだめだ、そう思えたとしても、そこで語られるイエス様の声を聞きましょう。その言葉は、わたしたち
の人生に成就してきます。
(文責 モーセ出西
光)
主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長崎教会
2009年6月28日 主日第二礼拝メッセージより