『十字架』
メッセンジャー イザヤ木原真牧師 ルカの福音書23章33〜38節
イエス様を捕らえたローマ兵達は、「どくろ」と呼ばれるゴルゴダの丘に連れて行きました。彼らは、イエス様と2人の犯罪人を十字架につけました。イエス様は犯罪人たちと並べられたのです。当時、十字架刑は最も厳しい殺しかたであり、極悪犯罪人や政治犯が処刑される極刑でした。背後にサタンが働いたと思われます。時のローマのクリスチャンに対する迫害や虐殺は、宗教史上最も残酷なものでした。そのローマが考え出した処刑の中で、十字架刑は最も残酷な刑です。あまりに残酷すぎるため、イエス様がかけられた後には、廃止されたほどです。十字架刑は死に至るまで、およそ7日〜10日かかると言われています。失血と呼吸困難により、十字架刑にかけられた多くの者が、発狂し、狂いながら死んでいきました。
その十字架にイエス様はつけられました。普通7日〜10日かかると言われますが、イエス様は6時間で、息を引き取られました。それは、あまりに苦しみが大きかったためです。前の晩は徹夜で引きずられ、39のむちを打たれました。両手首と足首に釘を打たれたイエス様は、全身から血を流されておられたのです。
イエス様は、犯罪人と並べられて十字架にかけられました。しかし、この方は決して罪は犯されませんでした。犯されないばかりが、罪の種そのものを持たず、罪とは全く無関係でした。その方が、最も残酷な裁きである、十字架を引き受けられたのです。
イエス様は、十字架の上では苦しみや痛みに対して、何も言われませんでした。しかし、その方が十字架につけられた時、こう言われました。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは自分で何をしているのか、わからないのです。」十字架にかけられたイエス様は、その苦しみと痛みの中で祈られたのです。イエス様が祈られた「彼ら」とは、イエス様を十字架につけた人達のことです。狭く言えば、そこにいたローマ兵や、イエス様に敵対する、律法学者やパリサイ人です。広く言えば、イエス様が捕らえられたとき逃げていった弟子達を含み、すべての人を含みます。
イエス様は多くの力ある業を成されました。いやし、奇蹟を数多くなさいました。それらすべては、イエス様が神様であると言うことの証明です。しかし、イエス様が神様であると確信できるのは、実はこの言葉にあると思います。罪とは全く無関係なお方が、罪人として捕らえられ、むち打たれ、いばらの冠を着せられ、釘を打たれて、苦しみの極みの中で、血が全身から流れ出る時に、イエス様は「父よ。彼らを赦してください。」と祈られたのです。これは、人には出来ない事です。口先ではありません。十字架によって、すべての裁きと呪いを引き受ける、この苦しみの代わりに「赦してください。」と祈られたのです。
イエス様は十字架の上で、7つの言葉しか話されませんでした。しかし、この「赦してください。」という言葉は、繰り返し、何度も祈られたと思われます。苦しみの中で祈られたこの祈りは、私のため、あなたのためです。私たちがイエス様を十字架につけたからです。だからこそ、私たちがキリストの十字架のもとに来る時に、完全に罪が赦され、あがなわれ、罪のない者と見ていただけるのです。
ではイエス様は、十字架から降りられる事は出来なかったのでしょうか。もちろん、イエス様は神様ですから、降りる事は可能でした。しかし、出来なかったのです。それは、十字架以外に、私たちを救う道は無かったからです。旧約聖書には「木にかけられた呪われた者」と書かれています。その身に、すべての罪を受け、呪われた者となられたのは、私たちを救うためです。私たちは、キリストのいのちという代価によって贖われました。イエス・キリスト、この方は愛そのものです。
(文責 千多冨二男)
主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長崎教会
2009年7月19日 主日第2礼拝メッセージより