『生きた神様との交わり』

           聖書箇所 マルコの福音書834節 メッセンジャー イザヤ木原真牧師

 今から20年前フィリピンの刑務所で囚人たちによる暴動事件が起きました。その当時、刑務所伝道をしていた、ジャッキー・ハミルを初めとする5人のクリスチャン達が、殺害され、殉教していきました。ジャッキーが銃弾を受けたとき、彼女は約20分の間、天を見上げて、神様を礼拝していたと言われています。

死を目の前にした時、喜びながら、輝きながら死んでいく人は多くありません。また、クリスチャンであっても必ずしもそうではありません。なぜ、彼女達は神様を見ながら、喜び、賛美しながら殉教していく事が出来たのでしょう。

 

 例えば、日本26聖人たちも、喜んで、神様を賛美しながら殉教していきました。彼らは京都から長崎まで引きずられながら連れて来られました。12月の末に捕まり、25日に殉教しましたが、約1月の間彼らは、ただ殉教というゴールに向かって歩いていきましたが、その中で、彼らは真剣に神様との交わりをしていました。そしてジャッキー達もまた、死を覚悟すると共に、神様との交わりをしていたのです。

 生きた交わりが無い時、私たちは天国という永遠に価値あるものが見えなくなります。神様との生きた交わりがある時、私たちには聖霊の喜びが与えられ、永遠に価値あるもののために歩む事ができるのです。

 今回エディ牧師とエレノア姉が来て証をして下さいました。ご家族が目の前で殉教され、本当に過酷な困難の中を歩んできましたが、宣教の働きが進み、神様の働きは前進して来ました。それは、神様との生きた交わりがあったからです。

 

 賛美をし、祈る中で神様との生きた交わりをするのです。その生きた交わりが私たちに、いのちと力、喜びを与えてくれるのです。これからの時代は、宣教を進めていく中で、死という事が隣り合わせになってくるでしょう。その中を歩みきるためにも神様との生きた交わりをしましょう。

 それが、リバイバルの備えとなるのです。

(文責 松本俊也)

 

主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長崎教会

2009年8月2日 主日第2特別礼拝メッセージより