『イエス・キリストの愛』

聖書箇所:ヨハネの福音書19章23〜27節                            メッセンジャー:イザヤ木原真牧師

イエス様は私たちの罪をあがなうために十字架にかかってくださいました。イエス様が十字架にかかった時、イエス様の最も近くにいたローマ兵たちはイエス様の着物を分け合い、下着のためにくじを引いて、イエス様の十字架に無関心でした。全く罪のない方が私たちの身代わりとなって十字架にかかられたにも関わらず、周りの人たちはそのことに気づかず、関心さえ示さなかったことはとても辛い事だと思います。その孤独の中、イエス様は十字架のあがないを全うされました。罪人である人間には罪をあがなうことは絶対にできませんのでイエス様の十字架とは根本的に異なりますが、私たちの人生にも十字架を負うことがあります。その時、誰か理解してくれる人がいたら慰めを受けますが、最も身近にいる人にさえ理解してもらえないことがあります。ですが、そんな時も、イエス様だけは私たちが通る十字架の痛み、悲しみ、苦しみ、孤独の全てを理解してくださり、慰め、励ましてくださいます。なぜなら、イエス様は十字架の上で、私たちの痛み、悲しみ、苦しみ、孤独の全てを引き受けてくださったからです。兵士たちがイエス様の着物を分け合い下着のためにくじを引いた時、イエス様の十字架のそばにはイエス様の母であるマリヤと女性たちが立っていました。神であるイエス様は私たちを救うために地上に来てくださいました。人としてのイエス様は、マリヤが聖霊によってみごもり誕生されました。マリヤの子として育ったため、全く悪いことをしていないのに極刑である十字架にかけられた我が子の姿を見て、マリヤは悲しみの極みにいたと思います。また、母マリヤのそばにはイエス様の弟子の一人であるヨハネがいました。ヨハネを始めとする弟子たちはイエス様のことを救い主として信じていました。彼らにとって、イエス様は生きる希望、生きる目的でした。そのイエス様が十字架にかけられたことは、彼らの生きる希望、目的が崩れるので、ヨハネは落胆していました。そのように落ち込んでいるヨハネと母マリヤに向かって、イエス様は慰め、励ましの言葉をかけてくださいました。母マリヤには、「女の方(女性に対する敬意を込めた呼び方)」と呼ばれ、これからは弟子の一人であるヨハネが息子になるから悲しまないでくださいと慰められました。一方、ヨハネには、そこにあなたの母がいますと言われました。その時から、ヨハネはマリヤを自分の家に引き取り、一緒に暮らすようになりました。聖書にはこのように書かれてありますが、カトリックでは、「イエス様は全ての弟子を母マリヤの手にゆだねられた。弟子たちは教会の代表である。そのため、イエス様は全教会をマリヤの手にゆだねられた。」という解釈をとられています。しかし、この解釈には無理があります。なぜなら、誤りなき神の言葉である聖書に「ヨハネが母マリヤを引き取った(27節)」と明確に書いてあるからです。ヨハネがマリヤの子となり、マリヤがヨハネの母となることでイエス様は十字架を中心とした神の家族を造られました。実はこれが教会のひな型です。ペンテコステの日、母マリヤを始めとする婦人たちと、イエス様の弟子たちが集まっていた所に聖霊が臨み、神の御業が開始されました。このように神様は十字架を中心とした神の家族を造られるのです。イエス様は、あの十字架の苦しみの中で、無罪にも関わらず誰かを呪うことはなく、ご自分の痛み苦しみを叫ぶことも決してなさいませんでした。しかし、イエス様は、愛する弟子と母が悲しんでいる姿を見ると、心を痛め、彼らを思いやり、慰めと励ましの言葉をかけられました。そして、十字架を中心とした素晴らしい神の家族を造られました。真の愛そのものであるイエス様だからこそ、あの十字架の苦しみの極みの中でも愛する人たちを思いやることができたのだと思います。このイエス・キリストの十字架の愛があるので、どのような悲しみの淵にいてもそこからイエス様の十字架を見上げる時、神様は私たちを慰め、励まし、最善の御言葉を語ってくださり、必ず解決を与えてくださいます。

 

パウロ秋元牧師をお招ねきしての素晴らしい聖会で、パウロ秋元牧師を通して神様が語られたことをお分かちしたいと思います。 @自分の弱さ、限界に気づき、それを認めるA神様が語られる御言葉を信じるB語られた御言葉に従う、この3つのポイントで語られました。私たちは弱さ、限界を感じる時があります。そのことを認めた上で、あきらめることなく、神様の御言葉を求めます。神様の御言葉を受けたら、その御言葉を信じ従います。律法的になるのではなく、頑張るのではなく、神様の恵みによって従うのです。神様が言われていることに従っていけばできると信じることがカギです。 弱さを通して栄光を現される神様に期待していきましょう。

(文責 久保田望)

主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長崎教会

2009年8月9日 主日第二礼拝メッセージより