『イエス様の元に行く』

聖書箇所: ヨハネの福音書4章46〜54節                      メッセンジャー:イザヤ木原真牧師

イエス様は再びガリラヤ地方のカナに行かれました。カナはイエス様がかつて結婚式に招かれぶどう酒が無くなった時、水をぶどう酒に変えるという奇跡を行われた場所です(ヨハネの福音書2章1節〜11節)。

一方、ガリラヤ地方のカペナウムに病気の息子がいる王室の役人がいました。この役人はおそらく社会的立場、人望、経済力があったと思います。しかし、自分が持っている社会的立場、人望、経済力をかけても、死にかかっている息子の病を治すことはできませんでした。

役人はイエス様がガリラヤ地方のカナに来られたと聞きました。同じガリラヤ地方ですが、カナとカペナウムは距離が離れていました。当時は車もバスもありません。馬車があったか定かではありません。しかし、歩いたとしても、馬に乗ったとしても、カペナウムからカナまでかなりの時間がかかったと思われます。時間はかかりますが、役人はどうしても息子に治ってほしいという切なる願いがあり、イエス様なら治すことができると信じたのでイエス様のところへ行きました。そして、自分の家に来て息子を癒してくださるように願いました。イエス様は、「帰って行きなさい。あなたの息子は治っています。」と言われました。役人はイエス様の御言葉を信じて、帰途につきました。その途中、役人のしもべたちと出会って息子が治ったことを聞きました。そこで息子が良くなった時刻を尋ねると、イエス様が「あなたの息子は治っている」と言われた時刻と同じであることがわかりました。

(イエス様の元に行く)

私たちの人生にも経済、人間関係、病などの問題が起こることがあります。その問題の中であきらめるのではなく、王室の役人のようにイエス様の元に問題を持っていく時、神様が解決と勝利を与えてくださいます。

新約聖書を見る限り、イエス様の元に来た全ての人がイエス様から癒し、解決、奇跡、勝利、恵みを受けています。もちろん、ラザロの復活のように願ったことより神様の御心が大きくて、その時は願い通りにいかなくても、その後にもっと大きな神様の勝利が現されるということがあります。いずれにしても、イエス様のところに来た人はみんな死から勝利しています。ラザロもヤイロの娘も死から復活しました。このように、イエス様の元に来る人が失望することは決してありません。

イエス様の元に行く方法は2つあります。1つ目は教会に行くことです。エペソ人への手紙1章22節、23節に教会にはイエス様が満ちておられると書いてありますので、教会に行けばイエス様に触れることができます。たとえ礼拝に来て寝てしまったとしても、教会にはイエス様が満ちておられるので寝ていてもイエス様から祝福、恵みを受けることができるので家で寝るのとは全く違います。サタンはイエス様が満ちている教会に私たちが行くことを忌み嫌うので、教会から引き離そうとします。教会を離れたら神様からどんどん離れていってクリスチャンであっても世の中の人とほとんど変わらない状況になります。だから、教会にしっかりとつながり、イエス様に触れ続けることは重要です。2つ目は祈ることです。いつでもどこでも誰でもイエス様の十字架を信じるなら、祈る時、イエス様の元に行くことができます。イエス様に触れることができます。神様は神様に祈る人を決して拒まれません。祈る時、神様の御業を体験します。

  (神様の御言葉を信じる)

王室の役人はイエス様に家まで来て息子を癒していただくことを願っていました。しかし、イエス様は「帰って行きなさい。あなたの息子は治っています。」と言われました。イエス様は役人の家に行くのではなく、御言葉を与えられました。まさに、イエス様が「あなたの息子は治っています」と言われた時刻に役人の息子は癒されました。これが神様の御言葉の力です。でもカギがあります。役人は「帰って行きなさい。あなたの息子は治っています。」というイエス様の御言葉を疑うことなく、不満を言うことなくその通り信じました。役人が信じた時、息子の病は治りました。神様の御言葉は生きていて働いています。その通り成就しますが成就するカギは信じることです。その時、神様の奇跡が起こります。

神様は教会に来る人、祈る人に応えてくださいます。そして、神様の御言葉を信じる人に神様の素晴らしい御業を現してくださるということをどうぞ覚えていただきたいと思います。                 

    (文責 久保田望)

主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長崎教会

2009年9月6日 主日第二礼拝メッセージより