『向こう岸へ渡ろう』
聖書箇所 マルコの福音書4章35〜42節 メッセンジャー イザヤ木原真牧師
・神の言葉に従う
ある日の夕方、イエス様は弟子達に「さあ、向こう岸へ渡ろう」と言われました。弟子達は、群衆を後に残して舟を出しました。ここではさらっと書かれていますが、この時弟子達は、すぐに舟を出しました。
では、皆さんが弟子だったとしたら、同じように舟を出されたでしょうか。ある人は舟を出したと思います。しかし、多くの人は「なぜ、向こう岸へ行くのですか?」「向こう岸で何をするのですか?」と目的や理由を尋ねられはしないでしょうか。目的や理由を知ろうとする事が悪いのではありません。しかし、神様との関係では、それが正しいとは言えません。「向こう岸へ渡ろう。」とイエス様が言われた時、確かにそこには目的と理由がありました。5章に書かれているように、向こう岸にあるゲラサ人の地にいた、汚れた霊につかれた人を解放するという目的です。しかし、イエス様はその事を弟子達には言われませんでした。それは、神様の方にすべての主権があるからです。ある方は、神様に語られた時、目的や理由を聞こうとします。しかしその時に、神様が答えられるかは、神様の領域です。この時、弟子達には信仰がありました。だから主に言われるままに彼らは従い、踏み出していったのです。
神様が語られた時、すぐに従う事ができればそれは素晴らしい事です。しかし、ある時にはすぐには従えず、神様に理由を尋ねる時があると思います。その時、もし神様が答えられなくても、それで従うことをやめてしまってはなりません。神様が語られたならば、それに従う時、そこには神様の計画と祝福が用意されているのです。
・許された嵐
弟子達はイエス様の言葉に従って舟を出しました。しかし、突如激しい突風が起こり、舟は波をかぶって水でいっぱいになってしまいました。イエス様の言葉に従って舟を出したにも関わらず、ガリラヤ湖の専門家であるペテロ達が命の危険を感じるほどの事態に陥ったのです。彼らは、後ろの方で眠っておられたイエス様を起こしました。するとイエス様は起き上がって、風をしかりつけ、湖に「黙れ、静まれ。」と言われました。すると風はやみ、大なぎになりました。その後、イエス様は弟子たちにこう言われました。「どうしてそんなにこわがるのです。信仰がないのは、どうしたことです。」イエス様は彼らに「信仰がない」と言われたのです。信仰があれば、この死にそうなほどの激しい嵐にあっても大丈夫だと言われたのです。なぜなら、この事は神の言葉によって始まった事だからです。では、なぜ彼らは恐れていたのでしょう。それは、激しい風が吹いたからでも、高い波が襲って来たからでもありません。不信仰が恐れを生み出させたのです。
「向こう岸へ渡ろう。」それはイエス様が言われた言葉です。神様は語られた言葉の目的と使命を必ず全うされます。嵐が来た時、弟子達の信仰は壊れそうになりました。彼らはガリラヤ湖の専門家であるゆえに、なお更恐れを感じたと思われます。しかしこの出来事の後、彼らはこう言いました。「風や湖までが言うことをきくとは、いったいこの方はどういう方なのだろう。」イエス様が、風と湖をおさめられたのを見て、彼らはそれまで以上のイエス様に対する信仰と信頼を持つようになったのです。
私たちは今、リバイバルに向かって進んでいます。その中ですでに嵐が許されている人もいるでしょう。しかし、恐れる事はありません。神様はその使命を全うされます。神様の言葉は必ず成就するからです。
そして、私たちの信仰を強め、多くの祝福を与えてくださるのです。
(文責 松本俊也)
主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長崎教会
2009年9月13日 主日第2礼拝メッセージより