『信じる者は神の栄光を見る』
聖書箇所 マルコの福音書5章36節 メッセンジャー イザヤ木原真牧師
マルコの福音書5章に書かれている3つの記事です。一つ目、ゲラサ地方に住む男が解放された記事― イエス様の方からわざわざ向こう岸へ、解放するために行かれた。二つ目、会堂管理者ヤイロの、死にかけた娘が生き返った記事―本人はイエス様の所には行けないので、父親がイエス様の所に来て願った。三つ目、長血の女、本人が来て、イエス様の衣に触って完全にいやされた。この3つは全部違いますが、どの人もイエス様にいやされ、解放され、自由になりました。イエス様は型を造らず、求める者を拒まれません。主はいろんな方法でいやし、解放し、助けてくださいます。
会堂管理者ヤイロは、宗教的、社会的エリートで立場も経済もありましたが、彼の立場もお金も、娘が死にかかるような病気になった時には、何の力にもなりませんでした。立場や経済があっても解決できない問題があります。その時、彼は、イエス様がいろんな場所で奇蹟やいやしを行なっておられ、どんな人でも直してくれると聞いたのです。だから、イエス様の所に飛んで行って、ひれ伏し拝んだのです。主のもとに行く時、主はいやしてくださるのです。本人が行けないなら、だれかがキリストのもとに行く時、主は手をのばされます。
ヤイロの願いに応え、イエス様が一緒に行こうとされた時、女が来て、そっとイエス様の衣に触りました。触りさえすれば直ると信じて、そう言っていたのです。人間的な努力は全部し、お金も使い果たしたけれど、何もよくならなかった彼女が、イエス様ならと期待して触った時、イエス様から力が流れました。
教会にはキリストが満ちておられます。この中でイエス様は語ってくださり、触れてくださいます。期待する人に、神は働かれるのです。女は期待して触った瞬間いやされました。30節―「だれが私の衣に触ったのですか。」とイエス様は言われました。群衆がたくさんいて、その人達がイエス様に触っていたのに、この女だけがいやされました。信じて期待していたこの女だけがいやされたのです。イエス様から力が流れたので、直したのはイエス様ですが、イエス様は、「娘よ。あなたの信仰があなたを直したのです。安心して帰りなさい。病気にかからずすこやかでいなさい。」彼女に、「神の娘よ」と言われ、また、わたしが直してあげたとは言わず、「あなたが信じて期待したので、その信仰があなたを直した。」と言われました。イエス様の愛が表れています。神は私たちの心と信仰を通して働かれるのです。
信じている人にはいやしはやってきます。しかし、病気になった人は、直っても、また再発するかもしれないという不安をもっています。イエスさまは、将来に向かっても約束のことばを語られました。「安心して行きなさい。病気にかからずすこやかでいなさい。」このことばはこの女を生涯支えたのです。主のことばは私たちを支えます。
会堂管理者は、これらを見ていましたが、家から使いが来て、娘の死を告げました。しかし、36節―「恐れないで、ただ信じていなさい。」とイエス様は言われました。死んだら終わりなのに、イエス様は大丈夫だと言われました。ヤイロの家に着くと、イエス様は、あざ笑う者たちを外に出し、「少女よ。あなたに言う。起きなさい。」と言われました。その瞬間少女は起き上がったのです。
もし、願っていたことがかなわなかったとしても、恐れないでただ信じていてください。イエス様は奇蹟をなさる方。できないことはありません。
周囲に目をむければ、実は苦しんでいる人がたくさんいます。誘ってください。その人がここにはこれないなら、その人のために、あなたが期待して信じるなら奇蹟は起きます。
(文責 千多 富二男)
主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長崎教会
2010年6月27日 第2礼拝メッセージより