『終わりの時代に向かって』

          聖書箇所Tペテロ47節 メッセンジャー 木原純子牧師

 今、パトモス・テサロニケチームが遣わされています。パトモス島とは、ヨハネの黙示録が書かれた島です。ヨハネの黙示録には、終わりの時代のことを私たちに示すために書かれています。つまり、パトモス島とは、終わりの時代のことが示された場所であり、そのパトモスに行っている今回のチームは、特別な使命を持ったチームであると言えます。また、今の時代が、その終わりの時代に向かっていると言うことを、環境問題や災害など様々な角度から読み取ることが出来ます。では、その終わりの時代が近づいた今、神さまは私たちにどうするようにと、言われているのでしょうか。

 

@祈る

 「万物の終わりが近づきました。ですから、祈りのために、心整え身慎みなさい。」と書かれています。聖書は終わりの時代が近づいた今、祈る事を教えています。祈りとは、気休めではありません。祈りとは神の手を動かすものです。小さな私たちが、神様に祈った時に、偉大な神の手が動くための、強力な武器なのです。そして、祈って神様に聞き、従うことを、今一度、確かにしていかなければなりません。

 

A心を整える

ここで、祈るために、「心を整え」と書かれています。これからの時代を歩んでいく中で、例え私たちが祈ろうとしても、私たちの心には、激しく揺さぶる大きな波がやってきます。その大きな波がやってくる中で、それはまず、心を整えることです。具体的に心を整えるために、最も近い道は、感謝と賛美です。感謝と賛美をし、波ではなくて、神様を見ることで、私たちの心は整えられていくからです。

 

B身を慎むこと

 身を慎むとは、どのような意味でしょうか。それは、身をきよめるということです。つまり、神のものとして、聖別するという意味です。たとえば、「一日のこの時間だけは、神様のために聖別する」という様なことです。これを実際にした人がこの浦上にはいました。それが、高木仙右衛門です。彼は、キリスト教の迫害が最も激しかった中、時間を聖別し、神様に祈りました。その結果、彼だけはその激しかった迫害かの中で、信仰を守り通していったのです。彼のように、これからの時代、私たちの肉の力では生き抜いて行くことが出来ません。しかし、身を慎み祈ることで、聖霊の力によって、歩みをまっとう出来るのです。

奇蹟とは、機械的に起こるということではありません。奇蹟を経験するということは、私たちの罪を見逃すことの無い、焼き尽くす火である主に触れることです。それゆえ、主は奇蹟に先立って、困難を通されます。その中で、私たちの持つ罪を明らかにし、主はその罪を、聖霊の火によって焼き尽くし、奇蹟を与えてくださるのです。

 

今回のパトモスチームでは、「扉に鍵が差し込まれ、その扉が開かれる。」と語られています。また、多くの人々が教会へと導かれようとしている今、神のしも長崎教会は新会堂への移動が必要になっています。神様は、その扉を開くために教会を祈りへと導いておられます。私たちが、神様を信じて、信仰を持って祈るとき、この新会堂の扉を、神様は必ず開いてくださるでしょう。そして、私たち一人一人の人生にも、神様は扉を開き、新しい歩みを導いてくださいます。

この終末の時代に備え、整え身慎み、神様に祈り従って歩んでいきましょう。

(文責 松本俊也)

主の十字架クリスチャンセンター 神のしも長崎教会

2010年7月11日 主日第2礼拝メッセージより