『礎の石〜あなたを輝かせてくださるお方』
聖書箇所 マルコの福音書 12章10〜11節 メッセンジャー イザヤ木原真牧師
イスラエル及び中東、ヨーロッパでは、家を造るときには石を使って建てます。初めに土台となる石を、家の4隅に置く方法と、真ん中に置く方法がありますが、いずれにしても、この土台石の事を「礎の石」と言います。そして、この御言葉では「家を建てるもの達の見捨てた石、それが礎の石となった。」と書かれています。つまり家を建てる人が「いらない。役に立たない。」と、必要ないと見捨てられた石が、なくてはならない礎の石になったという意味です。
この「礎の石」という言葉は孤児院の名前にもなっていますが、本来この言葉は、イエス・キリストの事を意味しています。イエス・キリストは神の1人子であり、彼には何1つ罪も汚れもありませんでした。その完全な方であるイエス様が、人としてこの地上に来られましたが、ユダヤ人達はイエス様を「いらない。」と言って捨てたのです。この方こそが、彼らが待ち望んでいたメシヤ(救い主)であったのに、彼らはイエス様を十字架にかけて殺しました。いと高き方であった方、すべてに勝り最高であった方が、最低なところまで行かれたのです。まさに、彼らは見捨てたのです。これはユダヤ人だけではありません。全人類がイエス様を「いらない。」と言ったのです。しかし、この見捨てられたイエス様の十字架こそが、私達の救いとなり、礎の石となったのです。このようにして、父なる神は私達に、イエス・キリストの十字架の贖いと復活の力によって、救いを与えられました。
私達の人生にも、人から見捨てられてしまうような事、自分で自分を見限ってしまう様な事、あるいは人から「お前はいらない。」と言われたり、そのような態度をとられたりすることがあります。しかし、私たちは知らなければなりません。イエス様こそが、まさにそのような道を歩まれたのです。人々に見捨てられたその時に、イエス様は私達を「必要だ。」と言って拾い上げてくださり、決してなくてはならない石、「礎の石」として、私達を輝かせてくださるのです。
人は神様が造ってくださいました。例外なく、あなたの中に良きものを与えてくださっています。その良きものに、イエス様が光を与えて、輝かせてくださるのです。
あなたがあきらめても、誰かがあきらめたとしても、キリストだけはあきらめません。なぜなら、彼は愛そのものだからです。愛する人は決してあきらめません。イエス様の愛は口先だけではありません。あなたのために、神にも人にも捨てられ、十字架によって、よみにまでくだられたこの方の愛は、あなたがどんなにどん底にいても、もっと下から引き上げて、最高のところまで引き上げてくださるのです。これが十字架の愛なのです。
自分に関しても、まわりの人に関しても、もうダメだという事は決してありません。どんなに失敗しても、どんなに人がダメだと言っても、あなた自身が終わりだと思っても、そこから始まるのです。神様のもとに行きましょう。そこから神様はその人をいやし、立て上げ、あなたが本来持っているその良きものを引き出して、輝かせてくださるのです。
(文責 千多冨二男)
主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長崎教会
2010年9月19日 主日第2礼拝メッセージより