『神の武具を身につける』
説教箇所 エペソ人への手紙6章10節〜20節 メッセンジャー イザヤ木原真牧師
神様が存在するように悪魔も確かに存在します。そして悪魔は私たちの人生を破壊してきます。悪魔と戦うために必要なこととは何でしょうか。
・神様が与えられた武具
10節〜17節までは個人の戦いについて書かれています。十字架によって救われ私たちは神の支配下にありますが、地上自体は悪魔の支配下にあります。悪魔は大切な関係、特に人を通して攻撃を仕掛けてき、その支配から逸脱させ人生を破壊しようとしてきます。悪魔は悪賢く、行き当たりばったりではない、確かな「策略」をもって向かってきます。一人一人それぞれ異なる弱さにふさわしい誘惑を持って私たちに攻撃してくるのです。それは単なる戦いではなく激しい「格闘」です。人間的な目に見えるレベルではない霊的な戦いなのです。だからこそ神様のもとに行き「しっかりと立つ」事が必要です。神様だけがこの戦いに勝利することができるのです。14節の「正義の胸当て」の正義とは神の正義です。神の正義は真実の悔い改めをするときに受けることができます。ただ悔いるだけでは悪魔の思うツボです。真実の悔い改めは、神様に赦され、喜びに満たされ、神様の働きを大胆にできるようにしてくれます。16節の「信仰の大盾」とは感謝のことをさします。「悪い者が放つ火矢」の悪い者とは、もちろん悪魔のことですが悪魔は人々を通して火矢を放ってきます。
どんなことにも感謝し、「神のことば」にしっかりと立ちましょう。神様のことばは悪魔を打ち砕く力を持っています。
・教会の祈りの力
18節〜20節は教会への戦い方を記しています。ポイントはずばり「祈り」です。祈りにはたくさんの種類があります。感謝、悔い改め、とりなし、霊の祈り、戦いの祈り。聖書には「すべての祈りを用いて」と書いてあります。教会が聖徒のために忍耐の限りを尽くして祈ることが大きなポイントです。この「忍耐の限りを尽くして」祈ることは個人ではできません。しかし神様の御からだである教会でなら祈ることができるのです。目を覚まし、時代をとらえ、神様にきちんと目を向けているのなら、神の恵みによりとりなしの祈りがうまれてくるのです。この祈りは神の祝福を解き放ちます。19節20節に連続して書かれていることは「祈ってください」というパウロからのお願いです。「旧約のモーセ、新約のパウロ」といわれるほどの祈りの人であったパウロでさえもが「祈ってください」とお願いしたのです。それはどうしてでしょうか。祈りがあるとき、働く神の力を知っていたからです。教会が祈るとき、神の力を動かし悪魔の鎖を断ち切り打ち砕くことを知っていたのです。
祈る人は、神様に不可能がないことを知っています。悪魔が何度私たちの人生を破壊しようとしてきても、神の武具を身に着け祈り立ち向かうとき、絆が回復され神様の祝福が注がれるのです。
神の武具を身につけ、悪魔に立ち向かい、神様の圧倒的な勝利を見て行きましょう。
(文責 木原いつくしみ)
主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長崎教会
2010年9月26日 主日第2礼拝メッセージより