『神様の計画を選んだ時の祝福』

聖書箇所:ルカの福音書1941節〜48                      メッセンジャー:イザヤ木原真牧師

 

エルサレムは神様に愛された町です。イエス様はエルサレムの町を見て涙を流されました。イエス様が愛してやまなかったユダヤ人が真の救い主であるイエス・キリストを拒んだばかりに滅ぼされる時が来るからです。そのことを知っていたイエス様は心がキリキリ痛みました。エルサレムのこれからの歩みを想うと涙が流れて止まりませんでした。

エルサレムを愛しておられたイエス様はこの愛をもって神のしもべ長崎教会を見ておられます。そして、私たち一人ひとりをこの「愛のまなざし」で見てくださっています。時々、神様というと「裁きのまなざし」というイメージを持つ方がいますがそれは違います。神の一人子イエス・キリストは私たちを赦して救うためにこの地上に来られました。そのことを決して忘れないでください。だからといって罪をいい加減にしてはいけません。 罪は神様の前に正しく悔い改める必要があります。

エルサレムの将来を想って泣かれたように、私たちの人生における将来のことを私たちが心配する以上に神様は心配してくださっています。私たちよりはるかに一人ひとりの人生を考え計画してくださっている。私たちはその神様の愛を受け入れ主の手にゆだねればいいのです。

 

ところが私たちは神様の語りかけを拒んで自分の手で何とかしようとする弱さがあります。自分で考えたことをしようとします。神様の計画は多くの場合、最初から華やかにみせません。人間的に見たら、損に思えることがあります。神様の計画を選ぼうとすると恐れや不安がきたりします。それは、サタンが神様の計画に従わせないよう私たちを説得してくるからです。恐れや不安を与え惑わしてきます。また、私たちには罪があります。罪の欲求を満たしたいと思う時、神様の計画とぶつかるのです。

神様の計画を選ばない結果、痛んだり苦しんだりします。その時、主はエルサレムを見て涙を流されたようにわたしたちをみて涙を流され悲しまれます。エルサレムは救い主であるイエス様を拒んで十字架に架けました。その結果、今にいたるまで争いの歴史が続いています。エルサレムは神様のものを受けることができませんでした。神様のものを受けなければ自分の罪とサタンの支配下に入ってしまいます。自分の罪の刈り取りをなす厳しい人生を歩むことになります。サタンに破壊されていく人生になります。

 

もし、今いろいろな問題が許されているなら、実は神様をどこかに追いやって自分で考えて歩んでいないでしょうか。誰かの意見を参考にして歩んでいないでしょうか。私たちがどんなに一生懸命考えても限界があります。私たちのことをどんなに想ってくれている人の言葉も限界があります。

命をかけて愛してくださっている真の神様は私たちのことを誰よりも一番心配してくださっています。

神様は本当に私たちを愛しておられ手をさしのべて道を示してくださいます。自分で思い悩むのではなく神様が語られる語りかけと導きを大切にしてください。神様は信じている者に語られます。十分に吟味して神様からの語りかけだと確信したらどうか踏み出してください。

 

その時、あなたが一番輝ける最善の計画を神様が開いてくださいます。神様の計画の中を歩む時、自分でも気づいていない隠れた賜物が開かれてきます。周りの人々にまで及ぶ祝福が現れてきます。神様の計画を選ぶと本当の喜びと祝福の中を生きてゆきます。

 

(文責 久保田望)

主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長崎教会

2010103日 主日第二礼拝メッセージより