『神の国と神の義を第一にする』
聖書箇所:マタイの福音書6章33節 メッセンジャー:イザヤ木原真牧師
私たちが神の国と神の義を第一にする時、神様がすべてを備え満たしてくださいます。神様との関係を第一にして御手の中に全てをゆだねていく必要があります。では、どうすれば神の国と神の義を第一にできるのでしょうか。具体的に2つのことをお話したいと思います。
1つ目は、日曜日の礼拝です。日曜日に教会で神様を礼拝することは神様への献身を意味します。これは、神様を第一にしていることのしるしです。
日本で日曜日の礼拝を守ろうとすることは必ずしも簡単ではありません。日本では、お仕事のこと、学校のことが日曜日に入る時があります。日曜日の礼拝を選ぼうとするとさまざまな闘いがあります。
日曜日を真に神様を礼拝するためにささげるかどうかは、人生を決めます。毎週日曜日教会に来て神様を礼拝すると霊的にも実際的にも祝福されていきます。
2つ目は什一献金です。什一献金とは、収入の十分の一を神様にささげることです。神様がいっさいの権威を治めておられ、この地上の富は全て神様のものなので、什一献金はささげるというより神様への返金というのが妥当です。
手取りじゃなくてもちろん税込みです。税金が引かれた後の収入をささげると神様より国のほうを上に置くことになるからです。
神様にささげたら豊かに祝福されます。神様が見事なぐらい支えてくださいます。だからといって無理してささげる必要はありません。神様は金額ではなく、一人ひとりがどのような心でささげるか内側をご覧になられるので、促された時、神様に喜んでささげてください。
聖書では神様を試してはならないと明確に書いてあります。しかし、1箇所だけ神様を試してみるようにと書いてある聖書箇所があります。マラキ書です。
什分の―を神様にささげることは非常に重要です。什分の一はある方にとっては大きいと思います。また、「これがあったらなんとかなる」と思い、ささげることに対して葛藤する時があります。激しい闘いがゆるされる時があります。その時、私たちが本当に神様をよりどころとしているか試しがきます。
私たちが自分自身、経済、能力、人生を喜んで神様にささげて歩む時、神様が私たちの主となって守り導いてくださいます。しかし、神の国と神の義を第一にしないで、実は経済、仕事、誰か、自分を第一によりどころとしているなら、神様以外の第一としているものによって支えていかなければならない。それは、不安定な歩みです。
イスラエルチーム以降、本格的な宣教が始まります。今までは神様を第一にしている人と第一にしていない人の明確な違いがありませんでした。一見、神を第一にしてない人のほうが幸せに見えるような惑わしがあるくらいさまざまな闘いがありました。しかし、今後、明確に分かれてきます。
これから日本に激しい聖霊の風が吹きます。どうか神様を第一にすることを学んでいただきたいと思います。神様を第一にする時に、その時、神様がご自身が力強く支えてくださいます。
(文責 久保田望)
主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長崎教会
2010年10月24日 主日第二礼拝メッセージより