『約束のものを得るために』
説教箇所 ヘブル人への手紙6章13〜15節 メッセンジャー イザヤ木原真牧師
ポイント1<13〜14>
神様はまずアブラハムに言葉を与えられました。「神は、アブラハムに約束されるとき、ご自分よりすぐれたものをさして誓うことがありえないため、ご自分をさして誓い、こう言われました。」(13、14節) これはご自分を指して誓われた、言葉なので、絶対に破れない約束です。
神様は言葉を与えて語ってくださいます。そして神様の言葉は必ず成就するのです。
ポイント2<15:忍耐の末>
アブラハムは75歳で言葉を与えられましたが、99歳まで何も起こりませんでした。約束が与えられたのにも関わらず、アブラハムもサラも年老いて行き、ますます状況は悪くなっていったのです。その状況は、笑ってしまうくらいのものでした。しかし、神様の時が来たとき、その約束は成就するのです。
私達も言葉の成就まで忍耐を必要とする場合があります。前もって忍耐の期間はわからず、時が来るまで何も起こりません。けれど忍耐は私達の信仰を成長させるのです。そしてその忍耐の時はいつまでも続くわけではありません。必ず終わり約束の成就する時が来ます。
ポイント3<15:約束のものを得ました>
アブラハムの場合、忍耐の末の成就は不可能の状態から始まりました。
神様は必ず約束を果たされます。忍耐の時が長く私達が諦めても神様は約束を忘れません。忍耐は私達の信仰をたてあげ、神を体験させてくれるのです。
私たちにも、神様はたくさんの約束を与え、祝福を用意しておられます。しかし、神様はその約束の受けるために、神様は試練を与えられます。それは、その約束の成就が不可能と思えるほどの試練かも知れません。
しかし、神様の約束の時が来たとき、その忍耐の末に、神様は必ずその約束の成就を与えられるのです。
神様の約束の時が近づいています。神様の祝福を共に見て行きましょう。
(文責 木原いつくしみ)
主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長崎教会
2010年10月31日 主日第2礼拝メッセージより