『ご自分を捨てられたキリストの愛』

 

           説教箇所 ピリピ人への手紙26節〜11節 メッセンジャー イザヤ木原真牧師

 

 神様の一人子である、イエス・キリストが人の子となられた事には、特別な意味があります。イエス様は、神のあり方を捨てられないとは考えないで、わたし達のところに来てくださいました。わたし達を愛して、わたし達の罪のために、わたし達の救いのために、人となって来てくださったのです。

 イエス様が人となって下さったという事実を、わたし達は心に刻まなければなりません。イエス様は人となって地上に来られ、死にまでも従われたのです。一度も罪を犯さなかった方が、私たちが自分でも見たくないようなところ、他人の見たくないようなところ、最も醜い部分までのすべてを引き受けて、罪と裁きと呪いを背負われて十字架にかかられたのです。そして、わたし達の代わりに地獄にまで行かれたのです。しかし、その死さえも打ち破り、キリストは復活されました。だから、わたし達がどんなに罪を犯した者であっても、悔い改め、この方の十字架と復活を信じれば、地獄ではなく、天国に行くことが出来るのです。

そして、この地上でも、この方を信じて、この方と共に歩む人生をわたし達が生きるならば、わたし達はこの地上でも天の喜びの中を生きることが出来るのです。

 

 もし、孤独を感じた事があったとしたならば、その時もキリストはわたし達と共におられました。もし、大きな問題と困難の前で、身動きが出来なかったことがあったならば、そこにキリストは来られて、わたし達を助け出してくださるのです。キリストの愛は、ただ助けるだけでは留まりません。キリストの愛はわたし達を助け、もう一度わたし達が自分の力で立ち上がることが出来るように、励まし、慰め、力づけてくださるのです。

 

 神様が人となって、この地上に来られたという真理は、本当に素晴らしいことです。十字架の死にまでもしたがってくださった、イエス様の従順。これに勝る愛はありません。この愛でわたし達は愛されています。

 だから、怖くありません。どんな問題が押しかけてきても、愛する人が困難の中にあっても、この愛がある限り、私たちは戦っていくことが出来るのです。この真理を深く知ってください。

 

 イエス様はわたし達を愛してくださっています。そして、わたし達もその愛を持って、人々を愛する特権に預かって行きましょう。神の恵みによって。

(文責 千多冨二男)

 

主の十字架クリスチャンセンター 神のしも長崎教会

20101219日 主日第2礼拝メッセージより