『朝早くから働いた人と5時から働いた人』

             説教箇所 マタイの福音書 20116節 メッセンジャー イザヤ木原真牧師

 ここには、朝早くに雇われた人と、9時、12時、3時、5時とそれぞれ雇われた人々が出てきます。主人は朝早く雇った人に11デナリの約束をしました。6時になって、仕事が終わった時、主人は、彼ら全員に1デナリを渡しました。しかし、5時に雇われた人たちが、同じ金額を貰ったのを見た時、9時に雇われた人は不満を言いました。彼の言い分は、よく理解出きるように思われます。

しかし、その5時に雇われた人が、すごく痛んだ人であったなら、私たちはどう思うのでしょうか。

 

・神様の価値観

 イエス様は天国をぶどう園に例えて話されました。ここに出てくる、ぶどう園の主人とは神様の事であり、労務者とは私たちの事です。労務者を雇うために、朝早くに主人は出て行き、1デナリの約束をして彼らを雇いました。9時、12時、3時にも出ていって、同じようにしました。そして、主人が5時に出て行った時に、仕事もせずに立っている人を見つけました。主人は彼にこう声をかけます。「なぜ、一日中仕事もしないでここにいるのですか。」彼は答えて言います。「だれも雇ってくれないからです。」

 5時にぶどう園に来た人が働いたのは、たった1時間だけでした。しかし、言い換えれば、彼はたった1時間しか働けなかったのです。5時まで彼を、誰も雇ってくれなかったからです。誰も彼を雇いたいとは思わず、誰も彼を必要だとは言ってくれなかったのです。そんな時に声をかけられた彼は本当に喜んで働いたでしょう。主人は彼をぶどう園に連れて行き、働かせてあげました。そして彼に、朝から働いていた人たちと同じ1デナリを与えました。

 イエス様は私たちをこのように見ておられます。誰にも必要とされなかった者をぶどう園に連れて行き、9時から働いた人と、5時から働いた人が同じ1デナリだったように、誰にも必要とされていなかった者を、同じように愛してくださるのです。

 

・最も大切なもの

 しかし、9時から来た人は、皆が同じ1デナリであることに不満を抱きました。主人が5時の人に1デナリを渡す事を理解出来ても、朝からずっと働いた自分にはもっと多くの見返りが欲しかったからです。

 しかし、9時から働いた彼に、神様はもっと良いものを与えておられました。彼は朝からずっとぶどう園で働いたのです。それは、朝からずっと神様と共にいることが出来たという事です。

 神様と共にいることが出来るという喜び。本来、この喜びに勝る喜びはありません。しかし、もし、私たちがその喜びを感じるのではなく、9時から働いた人と同じように不満を感じているならば、それは神様との愛の関係ではなくなってしまうのです。その関係の中では、この歩みは、つまらなくなってしまうのです。

 

 神様の見方は私たちとは違います。もし、神様のために5時からしか働くことが出来なかった人に不満を感じてしまう教会であったら、それは非常に寂しいことです。私たちが5時から来た人と共に喜ぶことが出来たならば、その教会には神様の愛と、喜びが溢れることでしょう。

 

 私たちの人生には、上手くいくことも、いかないこともあります。でも、神様はどんな人にも、どんな時でも、同じ眼差しで私たちを見てくださっているのです。その神様の愛の中を歩んでいきましょう。

(文責 松本俊也)

 

主の十字架クリスチャンセンター 神のしも長崎教会

201119日 主日第2礼拝メッセージより