『初めの愛に立ち返る』
説教箇所 ヨハネの黙示録2章1〜7節 メッセンジャー 松本俊也牧師
ヨハネの黙示録は7つの教会への手紙から始まります。その最初に出てくるのがエペソの教会です。このエペソの教会のことを神さまは「わたしは、あなたの行ないとあなたの労苦と忍耐を知っている。「偽りを見抜いたことも知っている。」「あなたはよく忍耐して、わたしの名のために耐え忍び、疲れたことがなかった。」(2〜3節)と言っておられます。これらの言葉から察すると、「非常に熱心な教会であり、模範的な教会」というイメージが湧いてきますが、次に神さまはこう言われました。「しかし、あなたには非難すべきことがある。」(4節)一見すると非常に素晴らしい教会のように見えるエペソの教会でしたが、神さまは彼らを「非難することがある」と指摘されました。それは、「あなたは初めの愛から離れてしまった。」(4節)という事です。これは教会にとって最も大切なものでした。
このような事は私たちにおいても、往々としてよくあることです。一生懸命であり、「頑張っている」「よくやっている」という風に一見感じられたとしても、最も大切なものを失ってしまうということがあるのです。では、この初めの愛とは何なのでしょうか。そして、なぜ彼らはその最も大切なものを失ってしまったのでしょうか。
・神さまとの生きた交わり
私たちクリスチャンは、ただ恵みによって救われましたが、その恵とは計り知れない大きなものです。神さまは私たちの罪のために、この罪に満ちた地上にひとり子であるイエス・キリストを与え、その十字架の贖いによって私たちを罪から救い出してくださいました。人それぞれに救いにいたるまでの道は違います。ある人は病のいやし、ある人は問題の解決。しかし、いずれにせよ神さまご自身が、救いに導いてくださったことは違いありません。そして、その救いを受けた時においては、私たち自身も「神さまいやしてください。」「神さまこの問題を解決してください。」という求めがあったはずなのです。
神さまが与えてくださった、十字架の贖いと救いは、恵みによるものでしかありません。しかし、それだけではなく、神さまは私たちを救ってくださる時、神さまに求めるという恵みも与えて下さっていたのです。この生きた交わりこそが、神さまが私たちに与えられた初めの愛なのです。私たちはこの初めの愛である生きた交わりを失ってはなりません。神さまと交わることができるという事は、特別な恵みであり、私たちにとって最も大切なものと言えるのです。
・悔い改める
それでは、なぜエペソの教会はその初めの愛を失ってしまったのでしょう。神さまはこう言われました。「それで、あなたは、どこから落ちたかを思い出し、悔い改めて、初めの行ないをしなさい。」(5節)神さまがエペソの教会に言われたのは「悔い改める」ということでした。それは、彼らが悔い改めていなかったことを意味しています。
私たちは罪を犯します。それは不信仰やつぶやきという形で表われます。その罪は悔い改めれば赦されるのですが、そのまま放置していると、私たちと神さまとの隔たりとなり、いつしか私たちの目の覆いとなり、神さまとの生きた交わりを失ってしまうことになるのです。
私たちはこの終末の時代の中を歩んでいかなければなりません。その時に、神さまとの生きた交わりを失ってしまっては正しい道を歩むことは出来ません。私たちは道を間違えます。私たちが罪人だからです。しかし、その度に初めの愛、十字架の愛に立ち返り、悔い改めるならば、神さまは私たちを赦してくださり、私たちに神さまが示される、正しい道を歩んで行く事が出来るのです。
(文責 松本俊也)
主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長崎教会
2011年3月13日 主日第2礼拝メッセージより