『神のわざを見るためのポイント(祈り)』
説教箇所 使徒の働き3章1〜8節 メッセンジャー イザヤ木原真牧師
ペテロとヨハネは午後3時の時間に宮に上って行く途中「美しの門」という名の宮の門の前にいる生まれつき足のきかない男に出会います。この後2人は、この男の足をイエスキリストの名によって奇蹟をし、いやします。この神の御業がなされるまでに幾つかの注目する箇所があります。
まずペテロとヨハネが2人で神の御業をおこなったという点です。ペテロとヨハネは新約聖書の福音書を見る限り、決して仲が良いとはいえません。この2人が一つの働きをなす事は人間的に考えたら不可能な事でした。その2人が神の御業の働きの為に心を一つにしたときに神の奇蹟がおこなわれました。私達はどうしても気の合う人を選び、気の合わない人を避けて行動しがちになります。しかし人を選んで行動しているうちは神の奇蹟を見る事はできません。神と聖霊によって一つにされた時に神の御業が始まります。
私達も日々の生活の中で人とうまくいかなかったり、ぶつかり合う事があります。その時に落胆せずにその一つ一つを感謝して、神様に解決を求めて祈り求める時に、ここから始まる神の奇蹟を見る事ができます。これはクリスチャンの特権でもあります。
また午後3時の祈りの時間という点も大事な箇所です。2人は常に神様に祈り、神様と交わる祈りの習慣がしっかりあったからこそ、この奇蹟がなされたのです。私達も神様に対して祈り交わる習慣がしっかり身に付いてると日々の生活の中で神様の奇蹟、証しできる体験をしていけます。しかし毎日しっかりと神様に祈る、祈りの習慣が生活に根づいていなければなりません。また、宮に行って祈ったという箇所です。宮というのは今でいう教会の事です。キリストに満ちた、みからだである教会に来て祈る事はとても大事な事です。
そしてペテロは足のきかない男に「金銀は私にはない。しかし、私にあるものを上げよう。ナザレのイエスキリストの名によって、歩きなさい。」と言って男の足を癒しました。ペテロはイエスキリストの御名を用いる権威があることを知っていたのです。私達にも神様を信じている者としてイエスキリストの御名を用いる権威があることを忘れてはなりません。
私達には力はありません。しかしイエスキリストには不可能など何もありません。私達はこの御名の権威を用いて、まだ知らない人達にイエスキリストの福音を伝えていかないといけません。人間の常識では考えられない、驚く奇蹟を神様はなさってくださいます。私達も祈りの習慣を身に付け、神様に求め、大胆にイエスキリストの御名を用いていきましょう。
(文責 野見山光一)
主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長崎教会
2011年3月27日 主日第2礼拝メッセージより