『Never Worry~感謝をもって祈り願う』
ピリピ人への手紙 4章4〜7節 メッセンジャー イザヤ木原真牧師
「主にあって喜びなさい。」(4節)とあります。私たちが喜ぶのは、適当に喜ぶのではありません。主がおられるから、喜ぶのです。どんな問題でも困難でも、主が必ず益とされることを信じるからこそ、喜ぶのです。私たちが感謝して祈るとき、主はその祈りを聞いておられるのです。
・Never Worry(心配しない)
「何も思い煩わないで」(6節)とあります。ところが私たちが生きていく上で、思い煩うようなことは、いくらでもあります。健康の問題、人間関係の問題、経済の問題。思い煩うための材料はたくさんあります。しかし、聖書は「思い煩わないで。」と言っているのです。なぜ、思い煩ってはならないのでしょうか。
私たちの思い煩いの原因の多くは、罪によるものです。あるいは、サタンによるものであり、罪やサタンが私達の人生を破壊するために働いたことによることが多いのです。しかし、私たちがイエス・キリストに救われたとき、十字架による贖いによって、その罪は赦され、死の力を打ち破って、サタンに勝利したのです。私たちが思い煩うようなことがあっても、その主が共におられるので、私たちの前に現れるどのような出来事も益とされ、どんなマイナスも祝福に変わるのです。もちろん罪は悔い改めなければいけません。なぜならば、十字架と復活という土台があるからです。
福音は律法ではありません。律法とは「しなければならない。」というもので、世の宗教のほとんどがそのようなものです。実は信仰生活が長くなると、律法的になってしまうものです。しかし、福音とは恵みであり、信じることが重要なのです。
思い煩うようなことは、確かにやってきます。しかし、その思い煩う感情に支配されてしまうのではなく、信仰に切り替えて感謝をしましょう。信仰を用いるときに、神様の祝福を見ることが出来るのです。
・感謝をもって祈り願う
「あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願いを神に知っていただきなさい。」(6節)ある人は感謝をすることを、あきらめることの代名詞かのように使っています。あきらめ、投げやりの手段として使ってしまっているのです。しかし、聖書は、「感謝をもって、祈り願いなさい。」と言っているのです。現状をそのまま受け入れて感謝をし、その状態から神様が働いてくださると、願うのです。
困難や問題があるとき、それを感謝してください。そして、そこから神様に祈り、願い求めてください。私達の願いと祈りを神様は聞いておられるからです。
感謝し、素直に神様に願い求めるとき、その願いが応えられる前に、私たちにある変化がもたらされます。それは神様がくださる平安です。この平安は誰も奪えません。これほど素晴らしいものはありません。そして、その時、信仰に立って願った祈りを神様が聞いてくださるのです。
多くの問題や戦いがあるでしょう。しかし、思い煩わないで、感謝し祈り、信仰に立って歩みましょう。その時、私たちはたくさんの神様の祝福を見ていくでしょう。
(文責 松本俊也)
主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長崎教会
2011年4月10日 主日第2礼拝メッセージより