『聖霊のバプテスマの力』

                説教箇所 使徒の働き148節 メッセンジャー イザヤ木原真牧師

 

弟子たちは聖霊のバプテスマを受けるという約束をイエス様から受けました。イエス様を信じている私たちの内にも聖霊様が住んでくださっています。しかし、この聖書箇所の聖霊のバプテスマはその意味とは違います。ここでいう聖霊のバプテスマは聖霊様に浸されること、聖霊様に満ち溢れることを意味します。

イエス様は宣教の働きを全うするために聖霊のバプテスマが必要だと弟子たちに言われました。

私たちも聖霊のバプテスマを受けることが必要です。人間にはどんなに頑張ってもできないことがあります。どんなに頑張っても変えることのできないことがあります。しかし、聖霊のバプテスマを受けると越えれなかった壁を越えることができます。どんなに頑張ってもやめることのできなかった悪習慣をやめることができたり、どうしても赦すことができなかった人を赦すことができます。聖霊のバプテスマを受けると私たちの内側が造り変えられ人生をも造り変えられます。

 

また、聖霊のバプテスマを受けると神様の力を受けます。エルサレムには弟子たちを殺そうとしていたユダヤ人たちがたくさんいました。聖霊のバプテスマを受ける前の弟子たちは弱くユダヤ人たちを恐れ隠れていました。しかし、聖霊を受けた弟子たちは一新します。恐れから解放され信仰が強められました。カリスマの働きが開かれました。カリスマを用いて大胆に福音宣教をするようになりました。迫害されても命がけで福音を宣べ伝えました。エルサレムだけにとどまらず、イエス様の大宣教命令に従って地の果てまで福音を届けに行きました。聖霊のバプテスマを受けると人はこれほどまで造り変えられるのです。

 

弟子たちは3年半イエス様と一緒にいました。イエス様から直接福音を聞いていました。しかし、教えは弟子たちを変えませんでした。教えは人を変えることはできません。弟子たちを変えたのは聖霊です。

 

聖霊のバプテスマを受けるかどうかはクリスチャン生活を全く変えます。求めるかどうかは本人の選択です。私たちは自分自身が聖霊にとらえられるように祈ると共に愛する人(家族、友人など)が聖霊にとらえられるようにとりなす必要があります。

聖霊の力を受けて、歩んでいきましょう。


(
文責 久保田望)

 

主の十字架クリスチャンセンター 神のしも長崎教会

2011529日 主日第2礼拝メッセージより