『喜びを得るポイントと真の知識』
説教箇所 ピリピ人への手紙 1章3〜11節 メッセージ イザヤ木原真牧師
パウロはピリピの教会の人々を思うたびに感謝し、彼らのために喜びをもって祈っていました。パウロは3節で「私の神に感謝し」と書いています。みなさんにとって神様は「私の神様」になっていますか。神様が「私の神様」になっていることは大事です。もちろん、教会に集まることは大切です。しかし、新約時代、神様と私たち一人ひとりがつながることができます。「神様が本当に私の神様だ。」と言える神様とのかかわりをもつためのポイントは、祈ることです。心の願いを素直に祈ってください。神様の元にいき祈る人は神様から祈りの応えを受けます。(明らかにそれがまずい祈りの場合は神様が祈りの方向性を変えるよう導いてくださいます。)祈りの応えを通して、神様の愛と恵みを受け、神様との生きたかかわりをもつことができます。 そうして、パウロのような喜びに満たされてゆきます。
なぜパウロがピリピの人々を思うと感謝と喜びが溢れてきたのでしょうか。それは、パウロが福音宣教をする時も、パウロが投獄されている時もピリピの教会の人々が、共に戦ってくれたからです。ある場合は祈りであり、献金であり、ある場合は共に福音を述べ伝えたのかもしれません。
教会が共に感謝し喜べるのは、共に戦っている時です。クリスチャンになった後に私たちが御体なる教会と共に戦うかどうかは重要です。あなたの個人の戦いを教会で共に戦い、また他の人たちの戦いを祈りを通して共に戦うのです。共に戦う教会は感謝と喜びが溢れてきます。教会が共に戦ってくれているという意識を一人ひとりがもつ時に豊かな祝福を受けます。
家庭、学校、職場などで神様が与えてくださった恵みを分かち合っていますか。それを分かち合おうとすると戦いがあります。しかし、教会で共に戦い祈っていると力を受けます。教会と共に戦うのです。神様の証しを分かち合ってくと、みなさんの生活の現場で神様を体験し始めます。それが私たちの信仰を立て上げます。
パウロはピリピの教会の人々をキリスト・イエスの愛をもって愛していました。それを証ししてくださるのは神様だとパウロは言いました。そして、パウロはピリピの教会の人々のために2つのことを神様に祈りました。真の知識とあらゆる識別力です。知識は人の常識、人間の経験ではありません。聖書のことをしっかり正しく知ることです。そのために聖書を読むことが必要です。識別力は真にすぐれたものを見分ける力 のことです。
終わりの時代はいろんな偽物が横行します。救われていない、形だけの偽物のクリスチャンが本物のクリスチャンを迫害する時代が来るのです。ですから、本物を見分けなければいけません。イエス・キリスト以外に、真理はありません。祈っていないとクリスチャンが惑わされ、騙されます。本物を見分けるためには真の知識と識別力と祈りが必要です。
本物の愛はその時わからないこと多いです。だから、パウロのように祈るのです。祈りは神様の全能のみ手を動かします。祈りは神様の祝福と導きを与えます。祈ることは神様の愛を人々に力強く現わしてゆきます。
この終わりの時代、多くの偽りがはびこります。本当の知識は聖書からしかきません。そして、真の神様に祈る時私たちは正しい見分けが与えられます。この見分けと知識をもって愛を人々に示していく時、神様の用意した豊かな実が結ばれていきます。
(文責 久保田望)
主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長崎教会
2011年8月7日 主日第2礼拝メッセージ