『ピリピ人への手紙 公開3』
説教箇所 ピリピ人への手紙 メッセージ イザヤ木原真牧師
・マイナスもプラスに
パウロの身に起こったこととは、何でしょうか。それは、投獄されたということです。これは、マイナスであるはずです。パウロは使徒なので、彼が投獄されるということは、宣教の働きが出来ませんし、指導者を失うことで、教会も弱くなってしまうからです。しかし、このことを彼はマイナスとは捉えてはいませんでした。彼は、投獄されたことが、「かえって福音を前進させることになった。」(12節)と言っているのです。
これは、私たちクリスチャンの醍醐味とも言えることです。マイナスこそ神さまの祝福を見ることができる、絶好の機会だからです。ですから、マイナスな出来事が起こった時に、落ち込んでいるクリスチャンは、神様の祝福を、まだ、多くは見ていません。確かに私たちにとって、悪いことと思える出来事はあります。しかし、十字架を信じているならば、マイナスにはなりません。それどころか、イエス様を信じているならばプラスになるのです。
投獄されたこにより、パウロは、そこにいたローマの親衛隊をはじめ、囚人たちや、ほかの多くの人々に宣教をすることが出来ました。神様はマイナスと思える事をプラスにされたのです。
・キリストは何よりも素晴らしい
パウロは投獄されましたが、ピリピの人々は、それを見て、ますます熱心に伝道するようになりました。なぜそのようなことが起こったのでしょう。それは、彼が牢獄に入りながらも喜びをもって、伝道をしていたからです。
伝道を熱心に行ったピリピの人々の中には、愛をもってキリストを伝える人もいました。しかし、一方では純真な動機からではなく、競争心をもってキリストを宣べ伝える人もいました。愛をもってキリストを宣べ伝えることは、素晴らしいことです。しかし、例えどんな方法や動機であったとしても、それらのこと以上に、キリストを宣べ伝えることの方がはるかに素晴らしいのです。なぜなら、キリストこそが素晴らしい方だからです。だから、状況はどうあれ、パウロはピリピの人々が伝道していることを喜んだのです。
私たちは、どれほどキリストの素晴らしさを知っているでしょう。確かにキリストの素晴らしさを知っている人もいますが、クリスチャンであってもほんの少ししか、キリストの素晴らしさを知らない、という人が多いと思います。パウロはサンヘドリン議員であり、本物のエリートでした。しかし、その彼が、キリストの素晴らしさを知った今では、すべてのものがちりあくたと思うようになったと言っています。
私たちには本来、神さまから祝福を受けられる様な要素は何一つありません。だからこそ、イエス様の十字架が必要なのです。イエス様の十字架を信じていれば、神様に「助けて下さい」と叫ぶことが出来るし、神様に求めることが出来るからです。
日本のクリスチャンが伝道しないのは、1つはこの国にある霊的な影響でしょう。しかし、それと共に日本人が宣教や伝道をしないのは、キリストの素晴らしさを知らないクリスチャンが多いからです。キリストの素晴らしさを知る秘訣があります。それは祈りです。そうすれば、キリストの素晴らしさをもっと知ることが出来、多くの人々に伝道せずにいられなくなるでしょう。
・この地上に生かされている意味
パウロの本音としては、「世を去ってキリストとともにいる」(23節)ことでした。そして、その思いがはるかに他のものに比べても勝っていました。しかし、彼はこの地上で生きる意味を知っていました。地上を生きることで、神様が多くの実をつけて下さることを知っていました。そして、それが彼の使命であることを知っていたのです。
私たちが、地上で生きていることには意味があります。神様が与えられた使命があるのです。その使命に生きている人は輝きます。そして、神様の祝福が、私たちを通して人々にも表われるようになるのです。
(文責 松本俊也)
主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長崎教会
2011年8月14日 主日第2礼拝メッセージより