『イエス様にある喜びと信仰の歩み』

           聖書箇所 ピリピ人への手紙3116節 メッセンジャー イザヤ木原真牧師

 

ピリピ人への手紙31節にはこう書かれています。「最後に私の兄弟たち。主にあって喜びなさい。前と同じことを書きますが、これは、私には煩わしいことではなく、あなたがたの安全のためにもなることです。」とあります。ただ喜びなさいと言っているのではなく、主にあって喜びなさい。と伝えています。

私達は目には見えなくても、神様がいつも共にいます。その事を喜び歩んで行きなさい、という意味です。イエス様と共にいる。それだけで私達にとって大きな喜びなのです。

もしもまだ、その事がはっきりと分からない方は、本当に一番心に願う事を厚かましくも大胆に神様に祈ってみてください。イエス・キリストは、あなたの罪のために十字架にまで架かってくださったのです。

あなたの祈りは必ず聞かれておられます。そのイエス・キリストがいつも共にいる事を忘れてはなりません。イエスキリストの所に、その願いを持ってくればあなたの問題は必ず解決してくださいます。

 

また79節にはこう書かれています。「しかし、私にとって得であったこのようなものをみな、私はキリストのゆえに、損と思うようになりました。それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています。私はキリストのためにすべてのものを捨てて、それらをちりあくたと思っています。それは、私には、キリストを得、また、キリストの中にある者と認められ、律法による自分の義ではなくて、キリストを信じる信仰による義、すなわち、信仰に基づいて、神から与えられる義を持つことができる、という望みがあるからです」この手紙を書いたパウロは、生粋のヘブル人でありながら、社会的地位もあったローマ市民のエリートでした。そしてキリスト迫害者でもありました。その彼はキリストに出会ってすべてを捨て、キリストを信じる信仰による義を歩んで生きました。イエス様に祈り、イエス様に求めて生きる人生に変わっていきました。

 

人は自分で何でもできると思っているうちは、神様に求めません。私達が生きていく上で一番大切なことは、キリストを信じる信仰によって歩む事です。

私達はキリストの言葉によって生きる事が最も大切な事です。全ての事に感謝しながら、神様に祈り求めましょう。祈るために教会もあるのです。主にある兄弟姉妹とともにキリストに祈り求めて、神様の素晴らしさを分かち合いましょう。

キリストを知っているから最高だ。と心から思える人生を私達も生きて生きましょう。

 

(文責 野見山光一)

主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長教会

2011年9月18日 主日第2礼拝メッセージより