『私たちの目標は天である』

           聖書箇所 ピリピ人への手紙31021節 メッセンジャー イザヤ木原真牧師

・キリストを知る者

パウロはここで「私は、キリストとその復活の力を知り、またキリストの苦しみにあずかることも知って、キリストの死と同じ状態になり」(10節)と言いました。ここでのポイントは「知る」ということです。イエス・キリストがどの様な方で、どれほど偉大な方であるかを、知識として知っているというだけではなく、体験的に知っている人は本当の意味でキリストを知る者となるのです。では、どうのようにすれば体験的にイエス様を知ることが出来るのでしょう。それは祈ることです。イエス・キリストに祈ることによって、私たちはもっと体験的にイエス様を知ることになるのです。

 

・クリスチャンの目標

 「私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。ただ捕えようとして、追求しているのです。そして、それを得るようにとキリスト・イエスが私を捕えてくださったのです。」(12節)パウロはイエス様を知っていました。しかし、それでも完全ではないと言いました。イエス様の愛と豊かさと偉大さは、計り知れないものだからです。だから彼は、そのイエス様をもっと知りたいと追求しているのです。そして彼はこう言いました。「キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。」(14節)上とは「天」ということです。永遠にある天を目標にして彼は歩んでいると言ったのです。

 クリスチャンの究極的な目標とは天です。例えどんなに長生きしたとしても、天にある永遠の前には、それはほんの瞬きのようなものなのです。本当に死に直面したり、死を覚悟した人はこの事がよくわかると思います。なぜなら、もし、地上において天を目標に歩んでいなかったとしたら、それは虚しいことに気づくからです。

 神様の言われていること、神様の御心の中に生きることが天を目標に歩むということです。クリスチャンである以上、必ず天国に行くことができます。これは何よりも勝る恵みです。しかし、その天国で私たちは永遠に生きていきます。そしてそこで、私たちが本当に価値あることに生きたかどうかが分かるのです。

日本人は死のことについて語りません。むしろ本当に死と向き合っている人がいたとして、それを語ると失礼だと言われます。それは、死の解決を知らないからです。しかし、人は必ず死にます。だからこそ、私たちは人々に伝えなければいけません。人は地上で死んで終わりではないのです。死には解決があるのです。

 

・私のようになってください

パウロは「私のようになってください。」と言いました。彼は傲慢な思いを持って言ったのではありません。彼はキリストに出会い、謙遜な人となり、自分のことを罪人の頭であると言いました。しかし、キリストに出会い、キリストを知ることによって、彼はもっとキリストを知りたいと思っていました。私たちも彼のように生きて行きたいと思います。

 

国籍が天にあるということは、天を目標に歩んでいるということです。この日本の多くの人は、地上のことを思って生きています。しかし聖書は、そのような人々の最後は滅びると書いています。

本当に永遠の価値の中を歩んで行くとき、確かに戦いがあります。しかし、その人の最後は必ず勝利です。そして、その人々は、この地上の人生の中にも、もっとたくさんの神様の祝福を見て歩むこととなるのです。

(文責 松本俊也)

主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長教会

2011年9月25日 主日第2礼拝メッセージより