『主にあって歩むこと』
聖書箇所 ピリピ人への手紙4章1〜7節 メッセンジャー イザヤ木原真牧師
・「主にあってしっかりと立ってください」
イエス様を救い主と信じている一人ひとりと共にイエス様はいてくださいます。パウロはピリピの教会の人々のことを愛していました。だから、ピリピの教会の人々にイエス様と共に歩んでほしいと強く願っていました。ピリピは栄えた町でした。しかし、繁栄しているからこそ、イエス様と共に歩むのを妨げるさまざまな誘惑がありました。誘惑や惑わしはありますが、イエス様と共に歩むのが祝福なので「主にあってしっかりと立ってください」とパウロは言いました。
・「主にあって一致してください」
ユウオデヤとスントケに「主にあって一致してください」とパウロは言いました。ユウオデヤとスントケはどちらも女性で夫人だったと思われます。ユウオデヤとスントケはどちらもパウロと共に福音を広めるために戦ってきました。喜んでキリストのために伝道してきましたが
、ぶつかってしまいました。その2人が御心を求めて主にあって一致することをパウロは願いました。
自分の感情や気分は誰もが持っています。それを否定する必要はありません。一つになれないことや気分的におもしろくないことはクリスチャンになったからなくなるわけではありません。なぜなら、地上はサタンの支配下であり私たちはイエス様の十字架によって赦されていますが、罪をもっているからです。しかし、感情や気分がどうであろうとも感謝して神様の御心に生きる時、感情は変えられ本人も周りの人々も祝福されます。そして、共にイエス様の御心を求め御心に生きる時、一つになることができます。
・「主にあって喜びなさい。」
いつも喜ぶことは人間的にはできないことです。また、私たちが世に目を向け自分に目を向ける時、いつも喜ぶことはできません。イエス様は私たち一人ひとりを十字架にかかるほど愛してくださっています。今も、命がけであなたのことを愛してくださっているお方です。決してあなたを見捨てず離しません。そのイエス様が共にいてくださるから喜びなさいとパウロは言いました。
人の目で見たら目立たない、他の人がやりたがらないことを淡々と行い続ける人は、弱さを知り欠けを知りますが、何を言われてもすぐに従うへりくだった心が培われます。真にへりくだったしもべになります。無駄だ と思える時間、損したと思える時間を通った人は損ではありません。その日々は宝になります。一人ひとりがいろいろなところを通られると思いますが何一つ無駄ではありません。
生きていると思い煩うことがあります。しかし、思い煩いではなくどんな時も感謝することを選んでください。感謝した上であきらめるのでも投げ出すのでもなく神様に願ってください。心にある本当の願いを祈ることが大切です。人は笑うことがあっても、神様は私たちの願いを笑ったり、バカにされません。神様からの平安がくるまで感謝し祈ってください。神様は必ず応えてくださいます。
(文責 久保田望)
主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長教会
2011年10月2日 主日第2礼拝メッセージより