『良きことに心を留める』
聖書箇所 ピリピ人への手紙4章8〜9節 メッセンジャー イザヤ木原真牧師
・私たちが心を留めること
「最後に、兄弟たち。すべての真実なこと、すべての誉れあること、すべての正しいこと、すべての清いこと、すべての愛すべきこと、すべての評判の良いこと、そのほか徳と言われること、称賛に値することがあるならば、そのようなことに心を留めなさい。」(4章8節)
ピリピ人への手紙を締めるにあたり、パウロはこのようにピリピの人々に伝えました。実に分かりやすいことを言っているのですが、ふと自分自身に目を向けてみると、これらのこととは、まるで逆のようなことばかりに目を奪われていることに気がつきます。不真実なこと、不名誉なこと、不正なこと、汚れたこと、憎むべきこと・・・このようなことを、たくさん耳にし、目を向けているのです。ですので、私たちが普通に生活していれば、このようなことに心を留めてしまうのです。しかし、そのようなものに目を向け、心を留めるのではなく、聖書が語っているようなことを心に留めていかなければいけません。聖書が語っているこれらのことに心を留めるということは神様が喜ばれることです。しかし、聖書と逆のことに心を留めることは、神様が喜ばれることではありません。私たちは何に心を留めるかを選択しなければいけません。
イエス様が5千人の給食の奇蹟を成された時のことを思い出してみますと、男だけで5千人いて、その他にも女性やこどもたちもたくさんいました。そこにあったものは、5つのパンと2匹の魚でした。1人あたり1つのパンを分けたとしても、のこり4.995個も足りません。弟子たちは「彼らに与えることは無理だ」と思いました。無いものを見たからです。このように私たちも瞬間的に計算しています。足りないものに目を留めるのです。例えば、夫婦の関係で考えたとしても、ケンカした時には、相手の足りないところに目を留めているばかりになりますし、相手の欠けているところを考えています。
多くの人は、無いものやマイナスに目を留めてしまいます。そして、それを矯正しようとします。しかし、イエス様はそのようにはなさいませんでした。5つのパンと2匹の魚を持ってこさせて、それを感謝し、それを用いて奇蹟を成されたのです。
私たちが何に心を留めるか、それは非常に重要です。そして、それは選択することが出来るのです。聖書が語っているように、今あるもの、与えられているものを感謝し、神様がしてくださっている良いことに心を留めるのです。それこそが信仰なのです。
・聞き従うこと
パウロは「私から学び、聞き、また見たことを実行しなさい。」(9節)と言いました。たかぶっているのではありません。彼は本当に神様のことを知り、従って多くの祝福を受けたのです。私たちにも神様が学ばせ、聞かせてくださり、見せてくださったことがあります。それらのことを受け取るとき、神様の業が私たちの人生の中にも始まっていくのです。
神様がしてくださっている良きことが必ずあります。そのことに心を留めて歩んで行きましょう。そして、神様がこれから成してくださる、多くの祝福を受けることが出来るように、主に聞き従って歩んで行きましょう。
(文責 松本俊也)
主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長教会
2011年10月9日 主日第2礼拝メッセージより