『与えられているものを感謝する』
聖書箇所 マルコの福音書8章1〜10節 メッセンジャー イザヤ木原真牧師
当時、イエス様は人気絶頂でした。イエス様は癒し、奇跡のみ業を行っていたので、イエス様の周りにはたくさんの群衆がいました。イエス様が奇跡を行う動機は、ご自身の力を誇示するためではなく、私たちへの「愛の心、憐れみの心」です。イエス様はこの愛のまなざしで、いつも私たち一人一人を見てくださっています。
イエス様はお腹が空いている群衆たちを放おっておくことができませんでした。イエス様は何とかしてあげたいと思いました。一方、弟子たちは、現状を見て無理だと思いました。その場所は辺ぴな場所で、周りにお店はありませんでした。その時、手元にあった食物は、7つのパンと魚が少々でした。この時、弟子たちは足りないものを見ました。この時の弟子たちのように、多くの人は、足りないもの(経済、能力、健康など)を見て落胆したりあきらめてしまいます。
しかし、イエス様は今あるものを見ました。イエス様は、今あるもので十分だと思いました。イエス様は、まだ食物が増えていない時に食事の体制をとらせました。数は問題ではありません。イエス様によれば一個でもよかったのです。奇跡をするのは私たちではなく、神様です。でも、今あるものを神様に差し出して感謝するのは私たちのなすべきことです。イエス様は今、与えられているパンと魚を心から感謝しました。これは、ヨシャパテの時と似ています。ヨシャパテの軍も敵が打ち負かされるという奇跡が起こる前に、喜びの声、賛美の声を上げました。賛美の声、喜びの声を上げた時、伏兵が出てきて敵軍が全滅しました。
イエス様は父なる神様が増し加えてくださると信じて感謝しました。すると、そこにいた全員が満腹になるほどの並み外れた奇跡が起きました。男性だけで4000人で、当時のイスラエルは多産だったので女性と子どもを含めたら数万人いたと思われます。
ヨシャパテの時も、並み外れた奇跡が起きました。本当は全滅しそうな軍が一本の槍も弾も使わず、誰一人負傷者も死傷者も出ることなく、敵軍が全滅する圧倒的勝利が起きました。そして、食物、武具などの分捕りに3日もかかりました。
弟子たちは数万人に食事を配りました。最後に、余ったパンを集めたら7つのかごいっぱいになりました。このかごは、使徒パウロがかごにいれられて逃げた時と同じ大きさのかごです。大きなかごにパンがいっぱいになりました。配っていた弟子たちはお腹が空きましたが、その時に満腹しただけでなく、おそらく1日から1週間分のパンをもらうことができたと思います。配った弟子たちは後になりましたが、奉仕した分、神様の豊かな祝福がありました。弟子たちは足りないものを数えていました。しかし、愛なるお方であるイエス様は、弟子たちにもたくさんのパンを与えてくださいました。
今あるものを感謝してそこから求めてください。これは、足りないものばかり数える求めの祈りと根本的に違います。感謝をもって神様の前に出る人は神様の奇跡をみます。神様の栄光を見ます。お互いに関しても、周りの人に関しても今あるもので十分です。恵みは溢れています。神様に期待してください。信じる人は神様の奇跡をみます。
(文責 久保田望)
主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長教会
2011年12月4日 主日第2礼拝メッセージより