『悔い改めの恵み』
説教箇所 マルコの福音書1書14〜15節 メッセンジャー イザヤ木原真牧師
この聖書箇所は、神様を信じないで神様に背を向けていた歩みから罪を悔い改めて神様を信じるという悔い改めを意味します。クリスチャンになっても私たちは弱さがあり罪をおかしてしまいます。その時、私たちは悔い改める必要があります。その悔い改めについて学んでいきたいと思います。
日本では、悔い改めは暗いイメージ、マイナスのイメージが強い気がします。しかし、本来、悔い改めは祝福です。真実な悔い改めは喜びが与えられます。どうしてかというと、十字架ですでに罪は赦されているので、悔い改めると赦しが注がれてくるからです。神様に悔い改めると赦されて罪がない者とみてくださるので、イエス様が父なる神様に願ったのと同じように大胆に求めることができます。悔い改めは赦されると同時に、祝福を豊かに受けることができます。神様が悔い改めを示してくるのはもちろん罪があるからですが、それと共に私たちに与えたい祝福があるからです。注ぎたい恵があるからです。罪は恵と祝福を受ける妨げとなるので神様は私たちが悔い改めることを望まれます。
今回は、2つの悔い改めについて学んでいきます。1つ目は、私たちが神様の祝福の中で高ぶる時の悔い改めです。クリスチャン生活を送る中で神様は祝福してくださいます。訓練や試練はありますが、神様は私たちを祝福するために召したと聖書に書いてありますので、クリスチャンは祝福を受けるものです。ところが、祝福されると知らない間に心が高くなることがあります。その時、へりくだって悔い改めると主は豊かに祝福してくださいます。
2つ目は、私たちが罪だと気づかないで罪が覆われてしまう時の悔い改めです。クリスチャン生活が長くなると罪が覆われてしまうことがあります。その時、神様が罪を気づかせてくださいます。例えば、家族の中で父親、母親、夫、妻として良いと思ってしていることが、実は悪かったと気づく時があります。神様が気づかせてくださった罪を悔い改める時に祝福を豊かに受けることができます。
神様は罪をあやふやにしません。しかし、神様は私たちを責めるためではなく、もっと祝福を与えるために罪を悔い改めるよう示されます。神様は心を見られるので心から悔い改めてください。真実に悔い改めるなら神様は赦して忘れてくださいます。悔い改めた罪はもう思い出さないと聖書にかいてあるからです。
聖書、説教、預言などを通して神様は罪を示されます。罪が示されたら落胆するのではなく、そのことばに素直に従い神に悔い改めてください。
みなさんが遣わされている場所があります。その場所で神様が悔い改めるように示されることは、それはもっと大きな扉を開き祝福を与えるためであることを覚えてください。だから、クリスチャンは希望があります。私たちが悔い改めると主は聖めと癒し祝福を与えてくださいます。悔い改めは計り知れない恵をもたらします。
(文責 久保田望)
主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長崎教会
2012年1月29日 主日第2礼拝メッセージより