『主よ。そのとおりです。』

               説教箇所 マタイの福音書152128 メッセンジャー イザヤ木原真牧師

カナン人の女が出て来て、叫び声をあげて言いました。「主よ。ダビデの子よ。私を哀れんでください。娘が、ひどく悪霊に取り付かれているのです。」(22節)カナン人とは、イスラエルの侵入前のパレスチナの先住民族で、イスラエルの敵として縁を断つべき民族とされていました。この場所は、偶像礼拝や罪が溢れていた場所です。「娘がひどく悪霊に取り付かれているのです」という事は、この家族も偶像礼拝をし、罪が一杯溢れ満ちていたか、その土地の中で、罪や霊的に交わっていたという事が考えられます。 悪霊に取り付かれると、ひどく騒いだり暴れたり、静かであってももの凄く暗く、周りを飲み込 む程の霊的な暗さが漂い、単なる心の病だけでは済まされない場合があります。イエス様に信仰を褒められた人は二人いますが、それはローマ兵の百人隊長と、このカナン人の女性です。ローマ兵の百人隊長は、周りの人が「この人は神の祝福を受けるのに資格がある人です」と言ったぐらいの人です。ローマ兵なのにユダヤ人に教会を建ててくれた人で、立場があり、それなりに経済があった事が伺えます。一方、このカナン人の女性は、イスラエルの敵として縁を断つべき民族とされていた場所に住み、偶像礼拝をし、罪が一杯溢れ、満ちていたと思われる人です。この二人を褒められたという事は、神様は性別や年齢や立場など外側を見るのではなく、私達の心と神様に対する姿勢をごらんになる。女性であっても男性であってもどんな立場に 立っていても、どんな願いであったとしても、私達が正しい心を持って、神様が喜んで下さる砕かれた心を持って主の前に出て行って主を幼子 のように信じて行くときに、主は喜んで信仰を褒めて答えてくださるという事です。

ですからどなたであっても、神様はこのカナン人の女や百人隊長に言ったように「あなたの信仰は立派です。あなたの願いどおりになるように」と語って下さる方です。しかしこのカナン人 の女の人は3回も、人間的に言ったら非常に冷たいあしらいを受けています。「私を哀れんでください」悪霊に取り付かれているのは娘ですが、この人は「主よ。ダビデの子よ。私を哀れんでください。娘が、ひどく悪霊に取り付かれているのです。」と叫び続け ます。「しかし、イエスは彼女に一言もお答えにならなかった」とあります。おそらく意識的に沈黙したと思われます。やっと発した言葉は「わたしはイスラエルの家の失 われた羊以外のところには遣わされていません」と言われたのです。「子供達のパンを取り上げて犬に投げてやるのはよくない」とも言われます。今の時代「子犬」は ペットとして、かわいらしく可愛がられる存在ですが、ここで言う「子犬」とは「スパイ」 とか「…の犬」と言う存在で、決して良い意味ではありません。ここまで言われると、「どうせ私なんか」と言っていじけるタイプと、「そこまで言われて・・・もういい!」と言って怒ってしまうタイプに分かれます。しかし、この女の人はどちらでもなかったのです。「イエス様なら必ず治して下さる、必ず最後には救ってくださる」と信じていたのです。「子供達のパンを取り上げて犬に投げてやるのはよくないことです」と、イエス様に言われても「主よその通りです。ただ、子犬でも主人の食卓から落ちるパンくずはいただきます。」と食い下がります。彼女は自分の罪深さを認めています。でも「そんな者でもパン屑でもいただければ娘 は治る」と信じていたのです。イエス様がくださるものなら「パン屑で十分」とイエス様を徹底して信じ、砕かれているのです。その信仰をみて、イエス様は「ああ、あなたの信仰は立派です。その願いどおりになるように」と言われたのです。

 

今日、私達が本当に差し出すならば、直ぐに答えられなくても信じていくとき「神様はあなたの願いどおりになるように」と言われます。神様だったら聞いてくださる、神様が答えてくださるまで、主の前にひれ伏して「きっとイエス様なら助けて下さる」と信じ、私達も自分が愛する者の為に求める必要があります。神の言葉は真実です。

砕かれた心で、冷静に自分の弱さを認め、「そんな私でも神様は哀れんでくださる」と信じるのです。小さく求めないで下さい。ご自分の欲とかの ためではなく神の栄光の為に。神様は私達に本当に大きく祝福を与えようとされています。自分の愛する者の為、家族の為大胆に求めてください。私達は受けるにふさわしくありません。失敗もします。でも、そんな私にでも、主が言葉を下さるなら哀れみをかけて下さるなら、必ず癒される、救われる、全部が逆転すると信じるのです。それが、十字架の恵みであり、神様の愛です。そうすると、神様は「あなたの信仰は立派だ」と言って「あなたの願いどうりになれ」と言ってくださいます。

大胆に求めましょう これからこの国に救いが起きます。これから奇蹟が起こります。これから回復が始まります。大きな岩が砕かれます。これからこの国に大いなる業が起こってきます。「パン屑でも良い、それさえあれば救われる」という言う信仰をもって共に信仰の歩みを成してまいりましょう。                               (文責 山本美津子)

主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長崎教会
2012
513日 主日第2礼拝メッセージ