『ことばなるキリストが闇に打ち勝つ光』

              説教箇所 ヨハネの福音書 11節〜5節 メッセンジャー イザヤ木原真牧師

1節「ことばは神とともにあった。ことばは神であった。」

このことばは、「キリスト」のことです。神は、「父なる神様」のことです。キリストは父なる神様と共にいて、キリストご自身も神様だということです。私たちが信じている真の神様は、父なる神、子なるキリスト、聖霊なる神の3つの位格を持ち別々の存在ですが、一つです。これを三位一体といいます。これは人間の小さな頭では理解できませんが、聖書に明確に書かれてあるので神様が三位一体のお方であると信じるのです。

2節「この方は、初めに神とともにおられた。」

この方は、「キリスト」のことです。一番最初からキリストは存在されました。つまり、全世界、全宇宙が創造される前から、私たちが信じている真の神様は、おられたのです。目に見えないものも目に見えるものも、すべてを神様が造られました。

すべてを造られた神様は壊れた心、体、家庭、人間関係、人生を回復することができます。誰かを責めても何の解決にもなりません。責めるのではなく十字架の赦しを受け取ってください。罪はもちろん悔い改めてください。全てを造られたキリストに持っていけばいいです。お金はいりません。信仰と心を神様のもとに持っていってください。そのとき、神様のみ手が動きます。

4節「この方にいのちがあった。」

この方とは、「キリスト」のことです。クリスチャンは、携挙の時、決して朽ちない御霊の体をいただきます。そして、やがて千年王国に入り永遠の御国にいきます。でも、イエス様を信じていないと朽ちない御霊の体をいただくことはできません。地獄に行き永遠の滅びであると聖書に明確に書かれてあります。本来、罪人の人間はみな地獄にいきますが、イエス様が私たちを救うために十字架のあがないを全うしてくださいました。だから、イエス様の十字架を信じる者は永遠の命を受けることができます。このキリストに命があります。

5節「光は闇の中に輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった。」

どんなに暗くても光が照ると光が絶対に勝ちます。イエス様を信じたクリスチャンにはキリストの光があります。キリストを信じてキリストと共に歩むとキリストの光が輝きます。キリストの光が闇に打ち勝ちます。

 キリストと共に生きると光が輝きだしますが、世の中と妥協して生きると光が覆われます。キリスト共に生きると日本の社会では必ずぶつかります。でも、キリストと共に歩む時、どうしても引けないことがあります。これを押すと闇が勝つと思う人がいますが、それは嘘です。本当に光と共に生きると必ず最後には光が勝ちます。キリストの光はこの世が絶対出せない光です。あなたがどんなに頑張っても出せない光です。キリストがいない世界は闇です。どんなに楽しそうに見えても、永遠からくる喜びはもたらしてくれません。キリストと共に歩くと本当の喜びと光の中を生きます。
 キリストはいつもあなたと共にいます。あなたがキリストをいらないっていっても神はあなたを捨てません。たとえ、私たちが神様の手を離しても、神様は私たちの手を決して離しません。あなたの内にキリストは住んでいて、あなたが忘れてもキリストは忘れません。

 

キリストの光があるので、あなたの存在は、家庭、学校、職場、地域、教会の光です。キリストがいるから光なのです。あなたが立派だから、素晴らしいからではありません。私たちではなくキリストが光だから、私たちが弱い時にこそキリストの光が現れます。

(文責 久保田望)

主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長崎教会
2012
63日 主日第2礼拝メッセージ