『主の軍の将』
説教箇所 ヨシュア記 8章13〜15節 メッセンジャー イザヤ木原真牧師
ヨシュアが率いるイスラエル軍は、ヨルダン川を渡りカナンの地に入りました。カナンの地に入った時、エリコの城壁という分厚い城壁がありました。ヨシュアがその城壁を見渡した時、抜き身の剣をもった天使が現れました。ヨシュアには、このとき天使だとわかりませんでした。ヨシュアは思わずもその人の前に行って聞きました。「あなたは私たちの敵ですか。私たちの味方ですか。」この天使は、おそらく受肉前のキリストだと思われます。ヨシュアはイエス様に対して敵なのか、味方なのか自分を中心に聞いていいます。神様は私たちが聞いた通りに答えられないことがあります。この時も敵だとも味方だとも答えていません。次のようにヨシュアに答えました。この軍は、ヨシュアの軍ではなく、主の軍でありその大将として私は来たのだと言いました。
真に、神様が私たちの主です。旧約聖書の雅歌では、初めは、「あなたは私のもの」と賛美していますが、最後は「私はあなたのもの」と賛美しています。多くの方が、私を助けてくださる神様と自分を中心に神様を見ています。それでも、神様は助けてくれますが、それはあなたが頑張って切り開く人生です。しかし、今日のメッセージの箇所を見てみると、私たちが中心ではなく、神様が主であり、中心で私たちの人生を導きご支配してくださるお方であるとわかります。神様を主とすることは最善の人生を送るカギです。神様の導きに従うことは神様の奴隷となることですが、窮屈なイメージをもっておられる方がいますが、それは惑わしです。神様の奴隷でないと、他の何かの奴隷になっています。罪、自分、悪習慣、他の人、仕事、お金などの奴隷です。人は何かに縛られて生きています。でも、本当に神様に明け渡した人は
、この地上の罪、人の評価、サタンからも全く解放されます。真の自由の中を生きます。何にも縛られません。十字架にかかるまで命をかけて愛してくださったお方、最善以外なさらないお方、あなたを祝福すること以外考えておられないお方の奴隷になることは、神様の用意した最高の人生を歩みます。
エリコの城壁が倒れますが、これはどんなに頑張っても倒せない城壁でした。どうして倒れたかというと、ヨシュアが主の前にへりくだりイエス様を主の軍の将とし主が戦われたからです。ヨシュアは天使の前にひれ伏しました。天使は、「足の靴を脱げ」と言われました。ヨシュアたちは戦いに行こうとしていたのに、戦いの前に靴を脱いだら大変なことになります。足の靴を脱げという意味は、ヨシュアの経験、能力を完全に主に明け渡しなさいということです。神様に明け渡す時にヨシュアの経験、能力は最大限に生かされました。そして、神様の前にへりくだって完全に明け渡した時に始めて聞こえて来る声があります。
エリコの城壁を落とす時、毎日1周まわって7日目に7周まわるように、という理解できないこの声をどうしてヨシュアが聞けたかというとそれは完全に神様に明け渡していたからです。神様のみ手の中に明け渡す時、初めて聞こえてくる声があります。初めて開かれる人生があります。あなたがもし権威が与えられているなら、あなたが神様に明け渡す時、あなたに任されている人たちに祝福が及びます。家長が神様に明け渡す時、神様の祝福が家族に及びます。
本当に主を主とし、へりくだって完全に明け渡して神様のみ声を聞いてください。その時、あなたの人生に、あなたに任された人々に神様の素晴らしいご計画が現れてきます。
(文責 久保田望)
主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長崎教会
2012年7月29日 主日第2礼拝メッセージ