『悔い改めは祝福と希望への方向転換』
マタイ4章1〜11、17節 メッセンジャー イザヤ木原真牧師
・悔い改め
私達クリスチャンは、根本的な意味での悔い改めは終わってます。
しかし、個々の罪に関してはやめたいのにやめれなかったり、こうしたいのにできなかったりという弱さを覚えたりしてしまいます。
悔い改めというと、日本人は暗いイメージを持ちますが、悔い改めは祝福であり希望なのです。
悔い改めは原語に近い言葉で言えば「方向転換」で向きを変えるという事です。
神様に背を向けて歩く時、人は罪の中を歩みます。
その歩みを悔い改めて方向転換して、神様の方を向いて歩き始める時に神様の愛と恵みと祝福の内を歩んで行けるのです。
・放蕩息子
聖書には、悔い改めについてわかりやすい放蕩息子の話があります。
この息子は、大金持ちの父親に財産を分けてもらい、遠い国で放蕩の限りを尽くし、全財産を使い果たしてしまいました。息子は生きる為に仕事を探し、豚の世話の仕事に就きました。
しかし、食べる物もなく豚の餌で腹を満たすようなみじめな生活を送るようになった時に、息子は悔い改めて父親の元へ戻りました。そんな息子の帰りを毎日待ちわびていた父親は、息子が、はるかかなたに見えた時に、走り寄り、思わずも抱きしめました。
そして靴を履かせ、上等の上着を着せ、雄羊をほふらせて食べさせて、息子の指に指輪をはめさせてあげたのです。
私達も悔い改めて、向きを変える時に神様の方から駆け寄ってきて下さり、抱きしめて下さり、その時から全く新しい者として下さるのです。
悔い改めは恵みです。
悔い改めて神様により頼む事を始めた時に、私達の方に神様の方から駆け寄ってきて下さるのです。
その愛を、私達の人生の中で体験していきましょう。
(文責 井上洋)
主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長崎教会
2012年9月23日 主日第2礼拝メッセージより