『からし種の信仰』
説教箇所 マタイの福音書17章19〜21節 メッセンジャー イザヤ木原真牧師
・キリストのもとへ行く
てんかんで苦しんでいる一人の子どもがいました。その子の親は、病を直していただこうと、弟子たちのもとへ連れて行きましたが、弟子たちは直すことができませんでした。そこで、今度はイエス様のもとへ連れて行くと、子どもは完全にいやされてしまいました。
私達も問題や困難、または病が許される時があります。しかし、その問題を解決するためのカギがあります。それは、キリストのもとへ行く事です。キリストのもとへ行くときに問題の解決やいやしを得るのです。
それゆえ、サタンは、私達がキリストのもとへ行くという行為を妨げようとしてきます。注意しなければいけないのは、その手段が狡猾である事です。例えば礼拝はイエス様とふれあう事が中心です。しかしサタンは、他の事柄を中心にさせてずれさせようとするのです。中心がずれると教会は問題を生じるようになるでしょう。
なぜなら、私たちには、人の問題を解決する力も病を直す力もないからです。キリストのもとへ行きましょう。その時、一時的な助けや解決ではない、根本的な問題の解決といやしを受けるのです。
弟子たちにはいやせなかった病を、イエス様は完全にいやされました。弟子たちがそっと近づいてイエス様に尋ねました。「なぜ、私たちには悪霊を追い出せなかったのですか。」何が原因だったのでしょうか。イエス様のもとへ子どもが連れてこられたとき、イエス様はこのように言われました。「ああ、不信仰な曲がった今の世だ。」つまり、イエス様はこの原因は不信仰と言われたのです。
・薄い信仰とからし種のような信仰
なぜ自分たちにはいやせなかったのかと尋ねて来た弟子たちにイエス様はこのように答えられました。「あなたがたの信仰が薄いからです。」さらに続けて言われました。「もし、からし種の信仰があれば・・・。」からし種とは非常に小さな種です。薄い信仰はダメだと言われたのに、からし種のような小さな信仰でよいと言われたのです。実はこの薄い種と小さな種、2つの種はその質そのものが違うのです。言うなれば、薄い種は求めて勝ち取っていく信仰です。では小さな信仰とは何か。それは受けたと信じる信仰なのです。
からし種とは恐らく最も小さな種でしょう。しかし、その種ほどの信仰でも用いれば神の働きを見ると言ったのです。さらにイエス様は「この山に『ここからあそこに移れ』と言えば移るのです。」と言っています。言えば山が動くと言うことは、つまり信仰を持って告白することがポイントだと言っているのです。
信仰の告白を大胆にしていきましょう。それは、信仰を用いる事であり、山を動かすためのポイントです。
・継続していくために
しかし、実際にやっていくと、告白することをあきらめてしまったり、他の人に馬鹿にされているような気がしたりしてしまいます。サタンが私たちから告白を奪おうとして来るのです。その中で継続して、告白していくためには、やはり祈りが必要なのです。そして断食することによって、よりシャープに神様のものを捕らえて行くことが出来るようになるのです。
信仰の告白をすると山が動くとイエス様は言われました。自分のことについて、愛する人のことについて、神様からことばをいただいて、信仰を持って大胆に告白していきましょう。不可能な壁が砕かれ、神様の勝利があらわされていくからです。
(文責 松本俊也)
主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長崎教会
2012年10月14日 主日第2礼拝メッセージ