『感謝−神様の祝福と計画を開くカギ―』

             説教箇所 マルコの福音書8110節 メッセンジャー イザヤ木原真牧師

この聖書箇所から「感謝」という事を中心に見ていきたいと思いますが、私たちの教会では11月が新年度になっています。ですから自然に10月は年度末と言う事になりますが、これは世間一般とは違うために意識しないとあっという間に過ぎ去りますし、終わってしまいます。そこで意識して、この一年間にあった様々な事を感謝していただきたいのです。良かった事や嬉しかった事は当然ですが、マイナスと思える事や些細な事に関しても感謝していってほしいのです。思い出したくない事やなんでこんな事が起こったのだろうと思える事も、立ち止まって感謝の光をこの部分に当てていく時に、今まで理解できなかった事柄や見えなかった事が神様の手の中で見えてくるようになります。神様は、私たちを祝福するために名を持って選ばれ命をかけて愛して下さいました。

その神様が今年一年様々な事を許されたのですが、それをそのままで終わらせられる事なく、その許された様々な事柄の向こうにある神様の祝福と計画がある事を知っておく必要があります。多くのクリスチャンは、その祝福や計画を見ないままで終わってしまいます。ですが、心から感謝してその許された事柄に感謝の光を当てていく時に、私たちの思いをはるかに超えた神様の祝福や計画を見ていく事ができるのです。ですから、意識して感謝の光を当てていっていただきたいと思います。

 

@   81〜 神様は私たちを祝福しようとし、召され愛されているという意識で見ていく

この箇所は、七つのパンと少しの魚で給食をされたところで奇蹟をなされた場面です。なぜイエス様はこのような奇蹟をなされたのでしょうか?それは、自分に付いてきた群衆が三日間何も食べずにお腹を空かせているのをご覧になり「ほっとけなかったのです。」そのまま帰して途中で動けなくなるといけないし「ほっとけなかったのです。」弟子たちは「こんなへんぴなところでパンなんかないし、無理ですよ。」って諦めました。しかしイエス様は違いました。自分に付いてきた群衆をお腹を空かせたまま帰らせたくない、かわいそうだと思い「ほっとけなかったのです。」同じように神様は私たちの事を何とかしてあげたい、何とか祝福しようと思っておられるのです。

その視点で神様が今年あえて許された事を感謝を持って見ていく時に開かれてくる事がある、という事を覚えておいていただきたいと思います。

A  85〜 感謝の光を当てる

イエス様は弟子たちに、パンはいくつあるのか尋ねられます。七つですと弟子たちが答えます。七つでは足りないのですが、足りないものではなくて有るものを聞かれたのです。魚も同じように少々しかなかったのですが、あったのです。そこからイエス様は、パンと魚を感謝をささげて弟子たちに配らせたのです。すると、人々は食べ満腹したという奇蹟が起ったのです。

私たちがこの一年に起こった事、どんな小さな事でもマイナスな事でも心を定めて感謝をささげていく時に大きな祝福に変えられていくという事を覚えておいてください。

B  86〜 信仰の対応

この箇所でイエス様は、まだパンと魚が増える前にみなを座らせて食事の準備をさせたのです。

感謝していく時に神様に示される事や、語られる事があります。私たちはそれに対して信仰の対応や備えをしなくてはいけません。信仰の備えをする時に神様の業が起こるのです。

来たるべき新年度、神様は私たちの思いをはるかに超える素晴らしい祝福を用意しておられます。私たちはそのために備え、準備をし神様の素晴らしい栄光を共に見ていきましょう。

 (文責 井上洋)

主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長崎教会            
2012
1028日 主日第2礼拝メッセージ