『喜び・祈り・感謝を受肉させる』
説教箇所 マルコの福音書8章1〜10節 メッセンジャー イザヤ木原真牧師
神様は第一テサロニケ人への手紙5章16節〜18節のみことばを神のしもべ長崎教会の新年のみことばとして語っておられます。「いつも喜びなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことについて感謝しなさい。」
@神様が望まれていること
すべてが益になるために感謝するというように状況が変わるためではなく、“神様が私たちに望まれている”から、いつも喜び、絶えず祈り、すべてのことについて感謝するのです。
A黙示録の時代への備え
このみことばが書かれている第一テサロニケ人への手紙は黙示録の時代のことが書かれています。中東和平の締結後、3年半の患難時代の時に終末のリバイバルが起こり世界的に非常に多くの人々が救われてきます。しかし、それとともに非常に厳しい迫害と困難がやってきます。その厳しい終わりの時代に向かって私たちが喜ぶこと、祈ること、感謝することを身につけておくかおかないかは決定的です。
迫害•困難にあったとき熱心や努力で越えていくことはできません。喜ぶこと、祈ること、感謝することが身についていると迫害•困難を越えていく力を神様が与えてくださいます。
「いつも喜ぶ」
私たち人間の感情はすぐに揺れ動きます。いつも喜ぶことを感情を中心に考えないでください。私たちはいつも喜ぶことを意識して選ぶ必要があります。私たちがいつも喜ぶことを選ぶ時、神様が喜んでくださいます。だから、感情はどんなに落ち込んでいても喜ぶことを選ぶ時、感情は造り変えられていきます。そして、神様のみ手が動くのを体験します。
「絶えず祈る」
私たちの力では絶えず祈ることはできません。しかし、異言の賜物があると私たちは絶えず祈ることができます。聖霊のバプテスマを受け賜物の働きを求めるクリスチャンは誰でも異言を語ることができます。
異言は、メッセージの異言と祈りの異言があります。メッセージの異言は解き明かしが必要ですが、祈りの異言は解き明かしの必要はありません。異言の祈りは聖霊が導く祈りなので霊が強められ、祈りを強めます。祈りの中心はことばの祈りですが、異言の祈りは家事など何かをしながら祈ることができます。だから、異言の祈りがあると絶えず祈ることができるのです。
「すべてのことを感謝する」
すべてのことだから良いことも悪いことも感謝するのです。ただ人間は神様が良くしてくださったことを忘れる傾向があります。だから、時間をとって神様が良くしてくださったことを思い起こし感謝する時を設けてください。そして、理解できないことも感謝することを選んでください。そのとき、感情は造り変えられ、神様の圧倒的勝利が現わされます。
新年に神様が語られたこのみことばが私たちに根付くとき、イスラエル派遣で群れにどんなみ言葉が語られても私たちを通して豊かな実が結ばれるのです。でも、この土台がないとき豊かな実が結ばれません。そのため、何度も聞いてきたこのみことばをこの教会に、私たち一人一人に、この1年でしっかり受肉させましょう。そのとき、奇蹟の証しが溢れ永遠に至る豊かな実が結ばれていきます。
(文責 久保田望)
主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長崎教会
2012年11月4日 主日第2礼拝メッセージ