『主を見て踏み出す信仰の一歩』
聖書箇所 マタイの福音書14章22〜34節 メッセンジャー イザヤ木原真牧師
今年は栄光と奇蹟の年と言われていますが、その歩みには困難も許されます。それが主に従った結果だとしてもです。
・主に求め信じる
当時、イスラエルでは幽霊は海上に現れると言われていました。それで、弟子たちはイエス様が水の上を歩いて、舟の上を歩いて来るのを見たときに「あれは幽霊だ」と言い、恐ろしさのあまりに、叫び声をあげました。そんな弟子たちに、イエス様は「わたしだ。恐れることはない。」と言われました。ペテロは言います。「主よ。もしあなたでしたら、水の上を歩いてここまで来いと、お命じになってください。」彼は疑っていたのではなく、確認し、人間では出来るはずのない奇蹟を求めました。人間にとって不可能であったとしても、イエス・キリストが命じてくだされば、出来ると信じたのです。
弟子は12人いましたが、水の上を歩いたのは、聖書を見る限りペテロだけでした。奇蹟と神のことばを求めた彼だけが、水の上を歩きました。主に向かって本当に奇蹟を求める人、いやしを求める人、人間関係や経済の問題をイエス・キリストに解決を求める人は、奇蹟を見るのです。
・信仰の歩みは奇蹟を見るポイント
ペテロは舟から足を踏み出しました。イエス様のことばによって、勝手に体が動いたのではありません。彼が自分の意思で足を踏み出したのです。それは信仰の歩みでした。もしこの時、彼が何もしなければ、何も起こらなかったでしょう。しかし、彼が踏み出した時に、不可能であることが、神様の手によって開かれていくのです。
私たちも神様からことばを受けたら、聞くだけではなく、応答して踏み出す必要があります。ペテロが、水の上に踏み出した時のように、勇気がいるのです。
水の上を歩き始めたペテロですが、風の音が聞こえ、波を見てしまいました。その結果、彼はイエス様から目を離してしまい、溺れてしまいました。私たちは踏み出したならば、イエス様を見て、歩いて行かなければいけません。その最も簡単な方法は、賛美をしたり、教会で共に祈ることです。イエス様を見ていると、その奇蹟の中を歩けるのです。
・愛の方 奇蹟をなされる方
私たちの中には、溺れながら頑張ってしまう人がいます。しかし、そのような時には素直に助けを叫び求めましょう。イエス様は愛の方です。この時もイエス様は、すぐに助けてくれた上で「信仰の薄い人だな。なぜ疑うのか」と言われました。多くの人は、神様は不信仰の悔い改めを求め、応じるなら助けてくださるというイメージを持っています。しかし、それは間違っています。キリストは、まず愛を持って私たちを助けてくださり、その後に教えてくださるのです。
他の人々は、水の上を歩かなかったので、失敗しませんでした。しかし、水の上を歩かないで失敗しないよりも、水の上を歩いて失敗したペテロのように、信仰の一歩を踏み出しましょう。応答して踏み出す人は、そこから奇蹟が始まるのです。神にえこひいきなどありません。求める人に、主は応えてくださいます。
私たち人間には、限界があります。しかし、キリストにはありません。キリストのもとへ行く人は、神のことばを必ず受けます。水の上に、足を踏み出したペテロのように、私たちも信仰の一歩を踏み出しましょう。私たちは神の奇蹟を見るのです。
(文責 石田政則)
主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長崎教会
2012年12月16日 主日第2礼拝メッセージ