『奇蹟を見る4つのポイント』
聖書箇所 T列王記18章25〜39節 メッセンジャー イザヤ木原真牧師
アハブにとってエリヤは「都合の悪いことばかり言う人」でした、しかし、エリヤは悪いことを言ってはいません。それは、アハブの妻イゼベルが偶像の神であるバアルに従わせていたためです。
●サタン(悪霊)は責めたり傷つけたり破壊してくる
エリヤは、バアルの預言者たちに「先にしろ」と言います。そして、バアルの預言者たちは朝から真昼まで、祭壇のあたりで踊り回ります。しかし、何の声もなく、答える者もなかったとあります。つまり、何も起こらなかったのです。
それからエリヤはあざけると、バアルの預言者たちはますます大きな声で叫んで、「彼らのならわしに従って、剣や槍で血を流すまで自分たちの身を傷つけた。」とあります。これは悪霊の特徴です。悪霊の特徴は、必ず本人や誰かを傷つけたり破壊するようにするのです。誰かを責め立てたにしても、その指は必ず自分に返ってきます。そして、自分を責めるようになるのです。聖霊に導かれてたら、踊っても、自分の身を傷つけることはありません。イエス・キリストの御名によって、悪霊からくるそういった思いは断ち切りましょう。
●祭壇を建て直す
エリヤは民全体に言って、近寄らせます。そして、主の祭壇を建て直します。「祭壇は偶像礼拝が盛んになるにつれて、すたれていった」(チェーン式聖書より)とありますが、偶像礼拝は、主が最も忌み嫌う罪です。しかし、新約的な偶像は「神さまよりも信頼しているもの・中心になっているもの」です。お金や人など、神さまよりもより頼んでも、奇蹟は起こりません。していたら、悔い改めればよいのです。
神さまにより頼むとき、奇蹟は起こります。神さまは身なりや献金の額を見たりするのではありません。心を見ます。神さまに不可能やえこひいきはありません。「祭壇を建て直す」とは、偶像礼拝を悔い改め、神さまを中心にして拠り所(よりどころ)にすることです。
●十二の石と奇蹟
十二の石は、イスラエルの十二の部族の数ですが、しかし新約的には「教会」です。奇蹟の土台は、教会です。今年は、みからだにことばを与え群れにことばを与え、群れを通して奇蹟を起こすといわれています。
「火を下した方がまことの神だ」と言ったエリヤは、火をつけやすくしたのではなく、二セア(≒15.2リットル)の種を入れるほどのみぞを掘った。」(32節)とあり、33節で切り裂いた一頭の雄牛をたきぎの上に載せ、さらに34節で四つのかめに満たした水を、いけにえとたきぎの上に水を注がせたのです。それを二度・三度とさせたのです。
奇蹟をなさる前に、神さまはますます奇蹟を起こせない状況にされます。しかし、逆が起きたからといって、落ち込んではいけません。そこから始まり、信仰が試され、信仰を通して奇蹟起こるのです。
●奇蹟を求める
エリヤは叫んで祈ります。ことばを受けて、生きた神にしっかり求め交わり、教会を土台にした上で、求めたのです。そうすると38節で、「主の火が降ってきて、全焼のいけにえと、たきぎと、石と、ちりとを焼き尽くし、みぞの水もなめ尽くしてしまった。」これほどの火が降ってきたのです。
信仰が病気になると、祈らなくなり、期待しなくなります。無理だと思うと、祈らなくなるのです。
しかし、神さまはおできになるのです。悔い改め、この方に奇蹟を求め始めると、神の手が動き始めます。そのことを期待してください。祈ること自体が信仰です。ことばを受けて教会を土台にして、神さまに叫んでください。奇蹟と栄光を現されるよう求めて祈ることを、神さまは待っておられます。
(文責 石田政則)
主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長教会
2013年2月10日 主日第2礼拝メッセージより