『神にとって不可能はない』
聖書箇所 ルカの福音書1章37節 メッセンジャー イザヤ木原真牧師
マリヤの受胎告知と言われるところですが、ここに書かれているように、イエス・キリストは処女マリヤから産まれました。イエス・キリストは人と人によってではなく、聖霊によってお産まれになられたのです。しかし、今なお、このことについて異論を唱える人は多くいます。なぜならば、このことは、それほどもまでも、絶対ありえないことだからです。ですが、私たちはこのことを無理なく信じています。
確かにイエス様は聖霊によって産まれたのです。ところが、それにもかかわらず、私たちは自分たちの目の前の問題に対しては、なぜ、解決出来ないと考えてしまうのでしょうか。
・不可能な状況の中で語られた神のことば
マリヤの前にエリサベツの事が書かれています。彼女はバプテスマのヨハネの母親ですが、彼女は不妊の人でした。さらに彼女はすでに歳を重ねていました。しかし、ある時に夫ザカリヤの前に御使いがやって来て言いました。「あなたの妻エリサベツは男の子を産みます」(13節)子供が与えられるということは彼らの心からの願いでした。しかし、あまりにも長い年月を過ごした彼らは「どうしてそんなことが起こりましょうか」と言いました。もう不可能なことだったと思ったからです。しかし、その後、彼らには子供が与えられました。神様のことばがその通りに成就したのです。信仰の父とも呼ばれる、アブラハムも同じような経験をしています。
彼らを見ていく中でわかることがあります。それは、とても信じられない状況の中で、神のことばが語られ、奇蹟が起こり、それが成就していったのです。神にとって不可能はないからです。
・神のことばを受けるポイント
では、どうすれば神のことばを受けることが出来るのでしょうか。それには2つのポイントがあります。1つは、神様により頼み、求めるということです。神様は私たちが求めるときに、必ずこたえてくだいます。
そしてもう1つが感謝することなのです。特別に与えられていることばはなくても、誰にでも適応出来ることばがあります。そのことばに立って感謝するのです。すべての事について感謝することは、すべての人に語られていることであり、「神を愛する人々のためには、主はすべての事を働かせて益としてくださいます。」ということばもまた、与えられていることばなのです。祈り求める事と、感謝する事がポイントなのです。
・十字架を負う歩み
マリヤは聖霊によって身ごもることを告げられた時、そのことばを受け入れました。結婚前の処女が身ごもることに対して、その先に困難があることも分かっていたことと思います。しかし、彼女は神様のことばを信じました。十字架を負ったのです。奇蹟を見るという時、その前に十字架を負う歩みがあるのです。
「益」というと、利益などをイメージしてしまいますが、ここにある益とは「最善」という意味です。時に、感謝していてもすぐに状況が良くならないことがあるかもしれません。しかし、そこであきらめてはいけません。
神様のことばに堅くたって、感謝していくのです。そこに神様の栄光と奇蹟は、現わされていくのです。
神様にとって不可能なことはひとつもありません。
(文責 松本俊也)
主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長教会
2013年3月10日 主日第2礼拝メッセージより