『ペンテコステ前の弟子たち』

                聖書箇所 使徒の働き11214節 メッセンジャー イザヤ木原真牧師

・弟子たちと共に祈っていた人々

ペンテコステの前の弟子たちは、ある場所に集まって祈っていました。そこにいたのは11人の弟子たちとイエスの母マリヤ、そして婦人たちでした。弟子たちの人生を大きく動かすことになるペンテコステの時、彼らと共に祈った人々がいました。事実、キリスト教の歴史を見ていくと、著しく成長していたり、リバイバルが起きている教会では、多くの場合に婦人たちが祈っているのです。

また、マリヤも共に祈っていました。婦人たちとは別に名前が挙げられているので、やはり特別な人です。しかし、カトリックのマリヤのように、崇拝の対象ではありません。

イエス様を受胎した時、彼女は確かに処女でした。しかし、その後は夫のヨセフの間には子どもが出来ました。それがここで祈っているイエス様の兄弟たちです。カトリックの一部の方々の中には、マリヤは生涯処女であったと言われる方がいます。しかし、それは適切であるとは思えません。イエス様には兄弟がおり、その兄弟はマリヤとヨセフの子どもなのです。

・自分の弱さに向かい合わされた弟子たち

 イエス様が十字架につけられた後、ユダを除く11人の弟子たちは祈るために集まりました。しかし、イエス様が十字架につけられる時に逃げてしまった彼らが、ゲッセマネでは1時間さえも祈れなかった彼らが、なぜ祈ることが出来たのでしょう。

 中でも筆頭弟子であるペテロは、イエス様が十字架につけられる時、イエス様に呪いをかけて逃げていきました。しかし、それゆえに自分の弱さや愚かさを知ったのです。あれ程までに愛していたイエス様を裏切り、呪いまでかけて逃げてしまった、その自分の罪深さに気付いたのです。彼は祈る者へと変わっていきました。彼は代表というだけで、他の弟子も同様です。弱さを知った時に人は祈る者へ変えられるのです。

・集まって祈る

彼らは集まっていました。それは格好のいい理由ではありません。恐かったのです。ユダヤ人によって殺されるかもしれないという可能性があったので、彼らは恐れたために集まって祈っていたのです。

恐れは必ずしも悪いことではありません。その恐れが教会へ足を運ばせ、祈りに導くなら、その恐れは、この後の弟子たちのような、逆転の勝利を見るきっかけとなるからです。

・与えられた約束

 自分たちの弱さを知った弟子たちでしたが、イエス様は復活された後に、彼らに約束を与えられました。『大宣教命令』と『聖霊のバプテスマ』です。それは「聖霊が望む時、たとえ殉教者になったとしても、全世界に出て行って、キリストを証しするものに変わる。」というものです。この約束があったから、彼らは約束を待ち望んで祈っていました。

 

彼らはイエス様を愛していました。しかし、自分の力で何とかしようとしていた時、彼らは祈ることが出来ませんでした。イエス様がゲッセマネで血のような汗を流して祈られていた時にも、彼らは寝ていたのです。

自分の弱さを知った人は、祈る人へと変えられていきます。弱くされている人がいたら、その人はまさに祈る人へと変えられている時です。

彼らは集まっていました。私たちも御体である教会に集まって祈り、神様が与えられる約束を握り、聖霊に満たされて、全世界に出ていきたいと思います。

(文責 松本俊也)

主の十字架クリスチャンセンター 神のしもべ長教会

2013年5月12日 主日第2礼拝メッセージより